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ねずさんのブログよりの転載です。

世界の進運に 後(おく)れさらむことを期すべし - ぜんこうのひとりごと (nezu3344.com)

 

不平や不満、あるいは評論評価だけでは、決して新しい未来を開くことはできません。過去に学び、未来を創造する。そこに希望があります。

 

奈良天平祭り

 

質問です。
みなさんが(仮に男性であっても)女性であったとします。
祖父は偉大な人物で、民衆が豊かに安全に安心して暮らせる国こそが、我が国の本来の姿であると堂々と主張した人でした。
父は、そんな祖父の御心を実現するためにと、時の権力者を斬り、国内において大改革を施しました。
結婚した夫は、そんな父の理想を実現するためにと、大きな戦いを行ない、政治の実権を握りました。

けれど、そんな夫は、若くして急逝してしまいます。

あなたは、夫の志を継ぐことにしました。
そのときみなさんなら、どのような国づくりを目指しますでしょうか。
次の3つから、これと思うものを選んでみてください。

A)悪者を片端から逮捕投獄殺害して、平和な国を目指す。
B)すべての政治権力を独占して、反対派を許さない体制を目指す。
C)教育と文化の普及促進によって、争いのない平和な社会の実現を目指す。

我が国が選んだ選択は、(C)でした。
敵対する者、悪事を働く者を責めるのではなく、自らが律しようとしたのです。
そしてそのために選んだ方向が、教育と文化による日本立国です。
これが行われたのが、いまから1300年前、持統天皇の治世です。

持統天皇というお名前は、後の世に付けられた漢風諡号です。
ご生前は鸕野讚良姫天皇(うののさららの ひめの すめらみこと)と言いました。
そして崩御後の諡(おくりな)を
 高天原廣野姫天皇
(たかあまのはら ひろのひめの すめらみこと)
と言います。

日本書紀全30巻を通じて、この「高天原」の文字が使われているのは、創生の神々の章と、持統天皇の諡号(しごう)だけです。
まさに、神とも呼べる偉大な女性天皇であられ、そして現代に続く日本の形を築かれたのが持統天皇であったからです。

その持統天皇が実施された業績は数々ありますが、その中で絶対に見落としてはいけないことが、トップの画像にある
(1) 教育のための日本書紀の編纂
(2) 文化としての万葉集の編纂
の2つです。

日本書紀は史書です。
史書は、その国のアイデンティティを形成します。
アイデンティティとは、日本語訳したら「国民精神」のことです。
日本とはいかなる国か、そしてその国作りのために、ご先祖たちがどのような苦労を重ねてきたのか。
そうした過去の事実を学ぶことで、そこから日本人としての国民精神、すなわちアイデンティティが形成されます。

しかしそうしたアイデンティティが、一部の人たちだけのものであってはなりません。
それ自体が、国全体に一般化したものでなければならない。
そこで新たな文化の創造として編纂されたのが「万葉集」です。

万葉集に掲載された歌は、皇族や貴族や、いまでいう文化人のような人たちの歌ばかりではありません。
そこには一般庶民の歌や、ごく普通の主婦の歌、若い娘さんの歌などが掲載されてます。
つまり、日本全国誰もが、男女や身分の上下を問わず、歌を通じて高い民度と教養を持つ国にしていく。
それが「文化の創造としての万葉集」の役割です。

日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇です。
万葉集の編纂をしたのは、柿本人麻呂です。

けれど天武天皇の時代、天武天皇は国家最高権威です。
指示や命令、つまり史書編纂の詔(みことのり)は、最終的には天皇からの詔の形をとりますが、その前に、それを実現していくことに関する細かな計画が行われます。
そして天武天皇の時代に、そうした政治向きの事柄についての実権を持っていたのが、皇后(おほきさき)であられた鸕野讚良皇后(うののさらのおほきさき)、つまり後の持統天皇です。

持統天皇が皇位にあったのは、690年から697年までの、わずか7年半です。
けれど持統天皇は、孫の文武天皇ご譲位の後、わが国初の太上天皇(上皇)となられて、再び政治の中心の場に立たれています。
そして、日本書紀や万葉集の編纂のみならず、
・日本という国号の使用
・太上天皇(上皇)という制度の開始
・貨幣制度の開始
・税制の確立
・戸籍の使用
・住所表示のはじまり
・官僚制度の確立
・文書行政の開始
・国家における権威と権力の分離
・お伊勢様の式年遷宮の実施
など、いまの日本の形そのもの基礎を築かれています。

とりわけ日本人の、いわゆる「民族性」にあたるものは、持統天皇の鋼鉄のような強い意思によって築かれたということができます。
7世紀という、世界の国家の黎明期に、我が国が持統天皇という偉大な女性を戴いたことは、その後1300年以上に渡り我が国に生まれ育ったすべての人にとって、そしてこの先も何千年と続く日本人にとって、それはとても幸せなことです。

そして持統天皇の築かれたその日本人の民族性は、エスニック(民族)としてのものではなく、どこまでもネイション(国家)としてのものであったということもまた、ものすごいことであったといえます。

なぜならエスニック(民族)主義というものは、必ず流血の惨事を招くからです。
なぜかというと、外国からやってきて日本に住む人、あるいは混血の人、あるいは生粋の日本人でも日本人の民族性を否定する人は、日本エスニック(民族)といえるのか、という問題を常に抱えるからです。
もっというなら、日本民族であるかないかの境界線が、とても曖昧なのです。
ですから必ず最後は流血の惨事になります。

これに対し、日本的文化を共有する人がネイションの一員という考え方は、国家の理想を共有しさえすれば、その国の一員とされます。
たとえばアメリカは多民族国家ですが、自由と平等、そして合衆国憲法をいただくことを誓った人がアメリカ合衆国というネイションの一員です。
だから多民族国家であることができるのです。

そのアメリカ合衆国が成立したのが1776年、18世紀の出来事です。
日本は、それよりも千年以上も昔に、ネイション・ステートを形成しているのです。

戦後は、日本を破壊したい人たちから、持統天皇はまるで強欲な女帝であったかのような言われ方をしてきました。
けれどそろそろ日本人は目覚めなければなりません。
そしてその目覚めこそが、昭和天皇が終戦の詔勅で語られた、
「誓て国体の精華を発揚し
 世界の進運に
 後(おく)れさらむことを期すべし」
ということの意味であると思います。

このブログでは、過去に学ぶことを主として書いていますが、趣旨は別なところにあります。
それはいかにして未来を切り開いていくのかです。
日本が、サウスコリアのような独善的国家になりたくないのなら、民族主義(種族主義)の道は選ぶべきではありません。
立派だった先達に学び、その立派だった過去と現在とを比べてみたときに、現在の持つ問題点が明確になります。
その問題点を解決し、過去の良い点と、現在の良い点を組み合わせて、もっとよい社会を築いていく。
そこが一番肝心なところです。
なぜなら未来は創造するものだからです。

持統天皇が目指された道は、まさにそのための道でした。
人と人とが殺し合う悲惨を見続けてきた持統天皇は、二度と殺し合いなど起こらない世の中を築くために何ができるだろうかを、生涯をかけて追い求めていかれた天皇であったと思います。

そのために日本書紀の編纂と、その日本書紀に基づく教育の実施、そして一般の庶民の和歌まで掲載した万葉集の編纂による文化の香り高い国づくり。
持統天皇の功績は、まさにそうした教育と文化による(当時にあっての)新しい日本の創造であったといえます。

過去を四の五のということは誰にだってできます。
現在の欠点をあげつらうことも、誰にだってできます。
けれど、不平や不満、あるいは評論評価だけでは、決して新しい未来を開くことはできません。
過去に学び、未来を創造する。
そこに希望があります。
そこにこそ、大切な本義があるし、そのことを昭和天皇は
「世界の進運に 後(おく)れさらむことを期すべし」
と述べられたのだと思います。

 

お読みいただき有難うございます。

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