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昭和天皇は、写真で見ると愉快そうな表情は余り見られないが、実はお茶目な方だったと云う。いつの頃か分からないが、昭和天皇が、大分県の湯布院にお出掛けになられたときの話だそうだ。

 

 陛下が地方に行幸されるとき、宮内庁の職員が、事前に先乗りして地元と調整をするそうだが、湯布院へお出かけになられた時も同様に、宮内庁が先回りして、関係者に注意事項などの説明がなされ、その中で、由布町の町長へも一言注意があった。

 

 陛下が由布岳の中腹で車を降りられて、景色をご覧になる、と云うときの説明で、宮内庁の職員は町長に対して、「陛下がご質問されるが、決してご尊顔を拝することのないように」と、つまり、「陛下のお顔を直視するな」と町長に注意したそうだ。今はそんなことはないと思うけど、そんな時代だったのかな。

 

 昭和天皇一行は、順調に予定をこなして由布岳に到着した。勿論、町長は既に随分前から待って準備をしている。陛下が、車を降りて由布岳から周りの景色を眺めた。そして、傍にいる町長に、ある山を指さして「あの山は何と云う山かね」とお尋ねになった。

 

 ところが、町長は、宮内庁から決して陛下の顔を見ないようにと云われているので、陛下の足元ばかりを見ている。だから、陛下がどの山を指さされているのか判らないし、どうにも答えようがない。

 

 沈黙の時間が流れる。おそらく町長は、冷汗三斗と云うやつだな。しかし、いつまでも黙っている訳にいかず、意を決し、目をつぶって答えた。

 

  「ただの山でございます」

 

しばらく沈黙が訪れた後、町長が目を開けると、その目の前に陛下の手が見えた。陛下は、手をぎゅっと握りしめたと思ったら、その手がプルプルと震え始め、そして足まで震えだした。町長は、これを見て、陛下がお怒りを堪えて身を震わせているに違いないと思い、再び、目をつぶって息をのんで、ただひたすらに時間が過ぎ去るのを待った。

 

陛下が行幸を終えられて東京に戻られると、町長は大急ぎで宮内庁に出向いて、腰を折って先ほどの無礼を平謝りに謝った。

 すると侍従は、「陛下は怒っていたのではなく、笑いを必死に堪えていたのですよ」と笑顔で答えたそうだ。陛下は、幼いころから何時でも冷静に対応するように教育を受けていたから、人前で声を上げて笑うと云うことはしない。だから、町長の珍妙な答えに対し、必死で笑いを堪えていたと云うんだけど、これは結構つらいと思うな。

 

 そして、数年後のこと 。今上天皇、当時の皇太子殿下が湯布院を訪ねられた。そして、昭和天皇が立たれた由布岳の展望台に降り立った皇太子が、町長に一言お尋ねになった。

 

 「ただの山とはどの山のことだね」

 

これで町長は、アタフタし、真っ青になってしまった。ここで町長がなんと答えたかが伝わっていないのは残念。とにかく町長は、またもや宮内庁に出向いた。冷や汗をかきながら侍従の説明を聞くと、皇太子が湯布院にお出掛けになると聞いた陛下が、皇太子に向かって「由布岳には、只の山と云う山があるので、聞いてみるとよい」と声をかけたそうだ。町長の答えは、実は陛下に大受けし、この話を皇太子殿下たち御家族にも話していたんだね。

 

昭和天皇の謁見を受けたアメリカの「フォード」元大統領は、体の震えが止まらなかったと回想しているし、中国の指導者だった「とう小平」も、昭和天皇の前では体が震えっぱなしだったと侍従が証言している。そんな異様なカリスマ性を持った昭和天皇も、笑いを楽しむ感覚は、ワシたち平民と同じだったんだな。

 

 

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