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国際派日本人養成講座よりの転載です。

No.1356 歴史教育は「課題学び」と「志学び」の両輪で ~ 歴人(歴史人物学習館)便り(9) : 国際派日本人養成講座 (seesaa.net)

 

その時代の課題を克服しようとする志を抱いた歴史人物を学ぶことで、元気な国民が育つ。

 

■1.国土面積も人口規模も見劣りするイギリスが、なぜ大英帝国を築けたのか?

 ユーラシア大陸の東西に浮かぶ島国国家、それがイギリスと日本ですが、この二カ国は世界史の中で、良く似た、しかも不思議な歩みをしてきました。国土も小さく、人口もさほど大きくはないのに、世界史に巨大な足跡を残してきたのです。

 まず7つの海を支配する大帝国を築いたイギリスですが、1800年頃の人口は約1750万人。海峡を挟んだお隣のフランスは2900万人と1.7倍の大国。国土も、はるかに気候もよく豊穣でした。さらにロシアはウラル山脈以西のヨーロッパ部分だけで3600万人。国土面積は言うに及ばず、人口でも2倍以上の大きさです。

 国土も人口規模も見劣りするイギリスが、なぜ最盛期には全世界の陸地の約4分の1も支配するような大帝国を築けたのか? 具体的には産業革命とそれによる強大な海軍の建設、巧みな外交、資本主義制度、議会政治などが挙げられますが、これらはすべてイギリス国民の元気と志が生み出したものです。


■2.大英帝国を築いた国民の志の力

 その一端を示すのが、1859年に発行されてベストセラーとなったサムエル・スマイルズの『自助論』です。この本は欧米の300人以上の人生を取り上げています。たとえば、3万の軍勢を率いて、35万のナポレオン軍を打ち破ったウエリントン公。その勝利によりイギリスは宿敵フランスを破って、大英帝国への道を歩み始めました。

 公は単なる軍事的天才というだけではありません。勝利の陰で、本国からの食料供給が見込めないと分かると、約束手形を発行して地中海や南米の港で穀物を買いあさりました。しかし公は占領地での略奪や徴用は厳禁したので、非常に困窮して、次のような手紙までを残しています。

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 われわれは借金で首が回りません。私などは、おめおめ外出もできないくらいです。なにしろ、債権者が負債の支払いを求めて手ぐすね引いて待っているのですから。
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『自助論』では、この手紙を次のように評しています。
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 かくまで堂々として、しかも人格の高潔さを強くうかがわせる告白があるだろうか。三十年の軍歴を持つ老兵、鋼鉄の男、常勝の将軍が、大軍を率いて敵地に陣を構えながら、なおかつ債権者たちの前で縮こまっているというのだから。
古今の征服者や侵略者の中で、このような不安に心を悩ましたものは皆無に等しいだろう。戦いの歴史をひもといてみても、彼ほど崇高で純粋な心の持ち主はいないはずだ。[スマイルズ、p134]
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 こうした人々を紹介しながら、スマイルズはこう結論づけます。

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立派な国民がいれば政治も立派なものになり、国民が無知と腐敗から抜け出せなければ劣悪な政治が幅を利かす。国家の価値や力は国の制度ではなく国民の質によって決定されるのである。[スマイルズ、p11]
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 大英帝国を築いた力は国土や人口の大きさではなく、「国民の質」でした。その国民の質を磨いたのが、この『自助論』のように立派な先人から学ぶ歴史人物学習なのです。[JOG(184)]


■3.日本が中国よりもはるかに小さな国土、人口で世界大国になれたわけ

 明治日本も、大英帝国と同様に、近代世界史に巨大な足跡を残しました。ペリーの黒船艦隊が来航して開国を強要した嘉永6(1853)年、日本は西洋列強の脅威にさらされた一島国でした。それが日清戦争、日露戦争と何倍もの人口と国土を擁する大国を破り、67年後の1920年には、国際連盟の理事国として、世界の大国の仲間入りをしています。それも非白人国家として世界初の快挙でした。

 1900年時点の日本の人口は2800万人。中国は人口1億9千万人と日本の6.8倍。アジアから世界大国が出るのなら、中国が断トツの第一候補です。それがなぜ中国ではなくて、日本なのか。

 たとえば、中国が大英帝国と戦ったアヘン戦争では、英国艦隊に喜んで食料を売る中国商人が登場しました。愛国心に燃えた民衆も少なくありませんでしたが、義和団の乱では国際条約を無視して北京の外国公使館を襲い、日本と欧米諸国の出兵を招いています。いくら国土や人口が大きくとも、国民の質がこれでは、世界の大国入りは難しいのです。

 それに比べれば、我が国は上記の『自助論』が明治4(1871)年に『西国立志編』として翻訳され、明治時代だけで100万部も売れています。もともと江戸時代から『太平記』や『忠臣蔵』などの人物を中心にした歴史物に親しんだ土壌があり、明治時代にはさらに教育勅語を人物の物語として説いた修身教育や、歴史人物の活躍を心躍るように描いた講談本で子供たちが元気に育ちました。

 こうした人物学習が、世界的大国になるだけの「国民の質」を磨いたのです。

 ユーラシア大陸の東西の小さな島国が世界史に巨大な足跡を残したのは、歴史人物学習を通じて、「国民の質」を世界のダントツの水準に押し上げたからです。


■4.戦後教育で落ちた「国民の質」を再び上げるには

 戦後の日本が世界の経済大国としてのし上がれたのは、大正生まれの人々の奮闘によるもので、戦前に磨かれた「国民の質」がまだ残っていたからです。しかし、1980年代になって戦後育ちの人間が社会の第一線を占めるようになると、バブル景気とその崩壊、その後のデフレと、混乱と後退の一途です。政治面でも憲法改正もできず、外交面、軍事面とも萎縮しています。

 この大きな要因は、「国民の質」を維持するだけの教育がなされなかったことだと私は考えています。自虐史観や知識だけの詰め込み、道徳や公共心涵養を忌避した戦後教育では、「国民の質」が上がるはずもありません。

 この行き詰まり状況を打破する突破口が、歴史人物学習にあると考えます。それはかつての大英帝国や明治日本で、国民が元気にあふれ、国家の繁栄をもたらした実績を見れば、明らかでしょう。


■5.小学校教科書での「坂本龍馬と薩長同盟」の説明

 ここで、歴史人物学習がどのように「国民の質」を上げるのか、考えてみましょう。そのために、前回の歴人(歴史人物学習館)便り(8)[JOG(1351)]でご紹介した、小学6年生が作成した坂本龍馬の紹介スライドと、小学校の歴史教科書で坂本龍馬をどう教えているかを比較してみましょう。

 まず、小学校の社会科教科書でトップの採択率を誇る東京書籍版では、「坂本龍馬と薩長同盟」と題したコラムでこう教えています。

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坂本龍馬と薩長同盟

 坂本龍馬は,勝海舟をしたい,長崎に海運・貿易を行う海援隊をつくりました。犬猿の仲といわれた薩摩藩と長州藩の同盟をうながしたほか,京に向かう船上で考えた「船中八策」は,五箇条の御誓文にえいきょうをあたえたといわれています。[東書、p105]
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 この文章から小学生たちは何を学べるのでしょうか。坂本龍馬、勝海舟、海援隊、薩摩藩、長州藩、船中八策、五箇条の御誓文と、重要な人名と事項をコンパクトに詰め込んでいますが、よく考えてみると、次のような疑問が湧いてきます。

 そもそも龍馬はなぜ「勝海舟をしたい」「海援隊をつくり」「薩長同盟をうながし」「船中八策を考えた」のでしょうか?龍馬はある志をもって、これらの行動をとったはずですが、その志が書かれていないのです。


■6.小学生の龍馬理解

 JOG(1351)では、小学生が歴史の授業で、人物紹介スライドをつくったという事例をご紹介しました。そのうちの一人、坂本龍馬を紹介した生徒は、龍馬の志を次のように説明しています。

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【スライド8枚目】
江戸についた龍馬は、早速ある人を探しました。
 幕府の役人であり咸臨丸という船で実際にアメリカまで行ったことのある勝海舟。
 そして勝の答えは明快でした。
「黒船を追い払う!?無理無理!」
「日本を守りたいなら、外国より強い海軍を作ることだな」
 なぜかって? 日本は島国だからな、強い海軍を作るためには外国と同じ力をつけないといけないんだ…俺は今、そんな海軍を作る準備をしているのさ。
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【スライド10枚目】
 勝と同じように進んだ考え方を持つ人にたくさん会った龍馬は、段々と日本の形を考えるようになっていったのです。
(龍馬のセリフ)幕府や藩がバラバラになって争っているようでは、世界に通用せんぜよ。日本が強い海軍を作るには日本同士の争うをやめて、一つにならんといかん! よし! みんなの古い考え方をせんぶ洗い流してしまおう!
 「日本をせんたくするぜよ!」
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 これらのスライドを通して、

 「日本が西洋列強に侵略されてしまうかもしれない」
→「日本を守るには強い海軍をつくらなければならない」
→「そのためには日本が一つにならなければ」
→「幕府や藩がバラバラになって争っていてはダメ」

 と、当時の時代の課題とそれに挑戦しようとする龍馬の志が、簡潔明瞭に、道筋だって説明されています。これと前節の教科書のコラムを比較してみれば、どちらが深く時代と龍馬を語っているのか、一目瞭然です。


■7.「志」抜きでは人物は浮かび上がってこない

 以上の二つの文章を比較してみると、同じく歴史人物学習と言っても、そこに守るべき大事な原則があることに気づきます。それは、本来の歴史人物学習とは「ある歴史人物が、時代の課題克服を志して挑戦した物語」を学ぶ、ということなのです。

 東書のコラムには、「龍馬が何をしたか」を並べているだけで、時代の課題にも、龍馬の志にも、触れていません。ですから、人間としての龍馬も浮かび上がってこないのです。これでは人物学習とは言えません。この文章では、生徒は歴史知識の詰め込みをされているだけで、何の面白みも感じないでしょう。

 それに比べれば、この小学生のつくったスライドでは、「日本を守るため」という課題認識から、龍馬の志が明快に説明されています。その志から龍馬の人物像も浮かび上がってきています。

 両者の対比から歴史人物を学ぶには、「その人物がその時代の課題をどう認識し、その課題克服のために、どのような志を抱いたのか」というストーリーで説明されなければならない、という原則があることが分かります。


■8.歴史教育とは「課題学び」と「志学び」の両輪で。

 この原則から考えると、歴史教育とは、次のような「課題学び」と「志学び」の両輪が必要ではないか、と思われます。

【課題学び】: その時代の日本はどのような課題に直面していたのか?(幕末では「西洋列強から、いかに国を守るか」)

【志学び】: その人物は、上記の課題を克服するために、どのような志を抱き、そのためにどのような行動をとったのか? (龍馬の場合は、「強い海軍をつくる」→「そのために国内を一つにまとめる」、、、)

 この「課題学び」と「志学び」は両輪として進められます。「課題学び」があってこそ、人物の志がよく理解できます。また、その人物の志に触れることで、その時代の「課題学び」ができます。歴史とは、その時代時代の課題に人間がどう挑戦して、次の時代をつくっていったか、という物語の蓄積なのです。

「課題学び」のお手本は「授業づくりJAPAN さいまた代表」齋藤武夫先生による『授業づくりJAPANの日本が好きになる! 歴史全授業』で示されています。たとえば龍馬については、次のような資料を生徒に読ませる、という授業案が示されています。

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【資料】勝海舟は、坂本龍馬にこう語つた
 ・・・西洋にやられないためには、軍艦だって大砲だっているんだよ。そいつを手に入れるには、西洋とつきあうしかないんだ。大砲も軍艦もない、サムライは藩に分かれていて、国としてまとまった海軍も陸軍もない。こんなことで、どうやって国を守れるっていうんだい。・・・[齋藤、p201]
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 歴史人物の発言を通じて、臨場感をもってその時代の「課題学び」をする、という秀逸な手法です。

 こうして「課題学び」と「志学び」を両輪として、生徒は各時代の日本の課題と、それを克服するための先人たちの苦闘を学びます。そのように歴史を学んだ生徒たちは、自分たちが生きている現代の日本の課題は何か、自分はどんな志を立てていくのか、と考えていきます。

 こういう学びを多くの子供たちがしていれば、その国の課題に志をもって取り組む国民がたくさん生まれてきます。それが「国民の質」を上げる道であり、幸福な国づくりの道なのです。教育基本法や学習指導要領で述べられた「国家を主体的に支える国民を育てる」という目的を果たす手段がここにあります。

 

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