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 天皇陛下は25日午後、皇居内の生物学研究所脇にある水田で、毎年恒例の田植えをされた。宮内庁によると、陛下は来年4月30日に退位した後、皇居での稲作を新天皇となる皇太子さまに引き継ぐ意向で、天皇として田植えを行うのは今回で最後となる。

 

 陛下は長袖のシャツに散策用のズボン姿。黒い長靴を履いて水田に入ると、しゃがみ込んでもち米のマンゲツモチとうるち米のニホンマサリの苗計90株を丁寧に植えた。20日に皇太子ご夫妻や秋篠宮ご一家とともに陸稲(おかぼ)などの種をまいた畑を眺めて、「もう芽が出てきたね」と笑顔を浮かべる場面もあった。

 

 皇居での稲作は昭和天皇が始め、陛下が引き継いで種まきから刈り取りまでの作業を毎年続けてきた。収穫された米は11月に行われる新嘗祭などに使われる。 

 

 

 

石原慎太郎エッセイ「日本よ」

「祭司たる天皇」


憲法には思想と信教の自由が保証されているが、
国民の中には共産党やその共鳴者のように

天皇制そのものを否定してかかる者もいようが
それはさておいても、個々人の信条に
強く関わる
信教に関しての自由が保証されている限り、
憲法の建て前からすれば天皇の存在は
国民個々人の
信仰の違いとは矛盾してはならない筈である。


しかしながら私は天皇こそ、今日の世界に
稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている。人類の歴史の中に同じものを
探せば、古代エジプトのファラオに例を見ようが、現今の世界には他に例がない。
さらにいえば天皇は神道の最高の祭司に他ならない。ならば神道もまた宗教の
一つではないかという反論があろうが、私には神道は宗教というよりも日本人の心情、感性を
表象する日本独特の象徴的な術だと思われる。

 その根源は日本という変化の激しい特有の風土にまみえてきた古代人が、自然への畏怖と
敬意と賛仰をこめて編み出した、万物に霊性を認めるアニミズム(精霊崇拝)の上に
成り立ったシャーマニズム(予言など超自然的存在との交流による宗教現象)にあった。
そうした汎神論はたとえば那智の滝を
御神体として祭った那智大社別宮飛滝権現神社であるとか、三輪山そのものを祭った奈良の
大神(おおみわ)神社の存在に如実に表れてい、その集大成が伊勢に他なるまい。
 私はかつて、熱心なカトリック教徒である曽野綾子さんが伊勢を訪れた折の感動を
記した文章に強い印象を覚えた。彼女はその中で伊勢こそが日本人の感性、精神の原点だと
悟ったと記していた。それは優れた芸術家の感性を証す、宗派などという人間が
後天的にものした価値観や立場を超えた、人間たちの在る風土が育みもたらした人間にとって
根源的なものへの真摯で敏感な認識に他なるまい。

 

 

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