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さくらの花びらさんのブログよりの転載です。
原爆投下7か月後の広島
「知る」ということは大切なことです。特に何を「知る」かが重要です。
日本とはどういう国か?
こう問われて、即座に答えられる日本人は少ないと言います。
なぜなら、日本の国のことを“正しく”教えないからです。・・・
大東亜戦争後、昭和天皇は約8年かけて、日本国中を巡幸されました。
実は、これは世界中が驚いたのです。
何を驚いたと思います?
世界の常識では、敗戦国の君主は国外逃亡するのが当然だと考えていました。敗戦国となれば治安が悪化し、君主に対する警備もなくなり、やがて国民は暴動を起こして君主を殺害するのが当たり前であったからです。
君主は常に国民の犠牲を顧みずに豪華な生活をするものであったから、同じように日本の天皇陛下も、国民から銃で撃たれて殺害されるものだと思っていた。
しかし、日本は世界の常識は通じなかったのです。
陛下の巡幸はどこに行っても大群衆に囲まれ、大歓迎され、時に日本国民は涙を流して「天皇陛下万歳、万歳、万歳」とやるのです。
特に広島への陛下の巡幸は広島の人々にとって大きな支えとなりました。それは原爆が落とされた広島には誰も寄りつかなかったからです。
当時の広島は「70年間は放射能で草木も生えない」と言われ、「放射能汚染された広島人と結婚したら子供が出来ない」とも言われていました。
しかし、昭和22年12月7日、そういう風評の中で、昭和天皇は広島に巡幸されたのです。この時、広島県民は涙を流して陛下をお迎えしました。
「陛下が来てくれた。これで広島は大丈夫だ。放射能も大丈夫。結婚も出来る」
広島県民は力一杯に手を振り、そして「天皇陛下万歳」をやったのです。
広島が苦しんでいるときには広島に、そして、福島が苦しんでいるときには福島へ。天皇陛下は常に国民とともにある。
時代が変わっても、決して変わらないもの。これが日本という国、国柄なのです。
お読みくださり有難うございます。
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