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ねずさんのブログよりの転載です。

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マルコ・ポーロ
20160310 Marco-polo



マルコ・ポーロが『東方見聞録』に、日本のことを「ジパング」と呼んだというのは有名な話ですが、ではなぜマルコ・ポーロが「ジパング」と読んだのかというと、これには意味があります。

支那語の呉音で「日」を「gitu」、「本」が「Pangu」と発音されます。
その呉音で発音された「ジツポング」を、マルコ・ポーロが聞き取って、母国ベネチアのヴェネト語で書き記したのが「チバング(Cipangu)」です。

その紹介の内容が、すごいです。
「ジパングは、支那の東の海上1500マイルに浮かぶ島国で、膨大な金を産出し、宮殿や民家はすべて黄金でできている。国は財宝にあふれ、人々は偶像を崇拝して外見がよく礼儀正しい。」

「モンゴルのフビライがジパングを征服しようと大軍を送ったが、暴風で船団ごと壊滅した。生き残った兵が、ジパングの兵士たちが留守にしていたジパングの都を占領して抵抗したが、この国で暮らすことを認める条件で和睦して、ジパングに住み着いたという話である」

いかにも支那で得た情報らしく、ほとんど嘘ばかりの伝聞情報ですが、元寇があった頃の日本について、支那がそのような認識でいたことは事実ですし、当時の朝鮮の高麗王朝がフビライに、「自分たちの国には何もないが、海を渡った先に日本という、とてつもない大金持ちで財宝に満ちた国がある」と、日本侵攻をそそのかしたという事実もあります。

そんなわけで、当時の日本は、倭国ではなく、「日本」という豊かな国家であるという認識が東洋社会にあったわけです。
この日本という国号は、7世紀の終わりの持統天皇の時代に、はじめて対外的に用いられた国号で、もともとの日本式の読み方は「ひのもと」であったといわれています。

白村江の戦い後、唐や朝鮮などの中華圏と決別した完全独立国家となるに際して生まれたのが、日本独自の元号と、日本という国名です。
そして、日本という国名は、漢語で「ジツポング」と読まれ、それがマルコ・ポーロによって「Cipangu」と翻訳されてヨーロッパに渡り、これがヨーロッパ各地の言語に翻訳されて、ジアポーネ、ヤポン、ハボンなど、さまざまな呼び方へと変化し、英語になって「Japan」となりました。

(ご参考)
イタリア語 Giappone ジアポーネ
スペイン語 Japon ハポン
ドイツ語 Japan ヤーパン
ヒンディー語 Jaapaan ジャーパーン
ペルシア語 Zhaapon ジャーポン
アラビア語 Yaabaan ヤーバーン
トルコ語 Japonya ジャポニャ
ギリシア語 Iaponia イアポニア
ロシア語 Yaponiya ヤポーニヤ
フィンランド語 Japani ヤパニ
モンゴル語 Yapon ヤポン
ウイグル語 Yapon ヤポン
ウズベク語 Yapon ヤポン
スワヒリ語 Japani ジャパニ
インドネシア語 Jepang ジュパン
中国語 Riben リーペン(ジーペン)
朝鮮語韓国語 Ilbon イルボン

つまり、ジパングも、ヤポン、ハボンも、リーペンもイルポンも、漢字で書けば全て「日本」です。
7世紀に使われていた国号が、現在も同じ国号であるという国は、世界でただひとつ、日本だけです。

 
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