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中山陵は江蘇省南京市東部の紫金山に位置する「国父」孫文の陵墓です


孫文の中山という号は日比谷公園近くの中山忠能公爵(明治天皇のご生母・中山慶子の父)邸の前を通ったとき、その表札を見てつけたのです


孫文は日本の明治維新をモデルに、漢民族による近代的独立国家を作ろうと、「滅満興漢」を掲げて


1895年(明治28年)広東での最初の武力蜂起を行うのですが、失敗、海外に高飛びしていたのです


支那四億万の蒼生(人民)を救ひ、東亜黄種(アジア黄色人種)の屈辱を雪(そそ)ぎ、宇内(天下)の人道を恢復(回復)し擁護するの道、唯(ただ)我国の革命を成就するにあり


と語っていたと言います


支那、台湾の両方から「国父」として、今も尊崇を受けている孫文は、革命家としての30年のうち、のべ約10年を日本で過ごしたのです


その間、多くの日本の志士と友情を結び、中国の為に一命を捧げた日本人志士も少なくありません





孫文の革命への志に深く共鳴した一人に山田良政がいました


日本によって上海に建てられた東亜同文書院の教授をしていた山田は、1900年(明治33年)、孫文とともに広東省恵州で兵を挙げるが、捕らえられ、殺害されるのです


中国革命のために一命を捧げた最初の日本人となったのです


孫文は山田の死を非常に悲しみ弘前に碑を建立します





1927年(昭和2年)11月4日、中国国民党は山田良政の建碑を議決し、孫文の眠る南京、中山陵に建立したのです

支那の近代国家の礎を多くの日本人が孫文とともに築いたという事実を支那人は知らないのです

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