神道において、稲は“命の根”に通じる特別なものです。
音も天の意志と通じる“い”で始まります。命、息、などと同じです。


稲を育てる田には特別なものがあり、神社は稲を育てる田を持っています。

稲で養う身体(からだ)は、自身のもの?

からだの語源は“からだま(空魂)”と言われています。
そのまま素直に意味をとると、魂を入れる器と言うことになり、
天からの借りものであるとされています。

分かり易くいうと、期限付きのレンタカーみたいなものです。
我々はこの借りている期限を“寿命”と読んでいます。

借りものなので、大切に扱わない、使い方を誤ったときなど、
病氣、事故などといったギフトが天から届けられる
仕組みになっているようですね!

最悪、期限前に強制回収されることも!?

生まれる目的は魂を磨くためであり、
特に効果的な三次元の身体をもっている地球に降ろしているみたいです。

それは、五感がより強く感じられることに通じています。
魂だけよりも刺激が強いのでより強い刺激を求めることを自制する
強さ、意志も鍛えられるということです。


五感とは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚です。これに意識を加えると、
六根(眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根)になります。

これをバランス良く調和させ、清めることを“六根清浄”といいます。
“胸が痛む”という言葉。“むね”は“六根”に通じていると
言うことになります。


命の根である稲(いね)は、この六根を清く育てるものであり
特に大切なものとして扱われているだと思います。

それが神事、祭祀に表されているのではないかと思いますが、
いかがでしょうか!?

お米を食べることは単に身体を養う、維持するためだけではないということ、
やまとごころを養う、六根に通じているのだと感じます。

小麦、パンやパスタなどでは養えないものがあると言うことですね!