中学生生活の思い出を振り返った時、宿泊行事というのは良くも悪くも記憶に残るものだと思う。
今年は中3、修学旅行。
思えば中2から、ずっと…ずっと頭の中にあった事案でした。
中1の校外学習も中2の宿泊行事も、入院中で参加出来ませんでした。
そして修学旅行の積立開始の案内が来た頃、『来年こそは』と家族で話した記憶があります。
ただ正直言うと、その頃はとても実現出来るとは思っていませんでした。
増えていかない体重、食事量、登校時間。
もがいてあがいて、ようやく体重が増えて来たのはつい最近1ヶ月のこと。
それまではずっと低空飛行…
当時は焦りばかり先行して、中2の学年末にはもう
『多分修学旅行は難しいと思うので、ほぼ行かないと考えていただいて結構です』
と、当時の担任にはこっそり伝えていた。
もう中2の三学期の時点で、学年では班行動での自由行動の計画が始まっていたし、あまりギリギリまで引っ張って考えたくなかったから…あえて先に先生たちには伝えてました。
息子本人と旦那は、直前まで諦める気は無かったみたいだけど…
本人の行きたい気持ち
でも不安な気持ち
親の最後くらい行かせたい気持ち
でも体力気力が伴わない苛立ち
行かなかったら思い出が何も残せずに卒業することになるんじゃないかという恐怖
行っても苦しい思いだけして帰宅するんじゃないかという不安
様々な感情がぐちゃぐちゃで
親のプライドで行かせたい(行かなきゃいけない)のか
本人が言う『行きたい』がどこまで本気なのか
積立のキャンセル料がかかる前に決断しようと思っていた思惑に反して、本人が『参加する』といいはるのでそのまま段取りが進み、訳が分からないまま当日を迎えました。
当然学校側も不安があったようで、普段の通学の様子を見ながらそれでもホンマに行くんか!?という心境だったと思います。
毎日のように支援級からは連絡帳にコメントがありました。
私たち家族も、闘病中の実弟に会いにいくついでに新幹線に乗り修学旅行の予行練習をさせました。
新幹線から在来線の乗り継ぎ、広い駅構内を歩くということがどんな状況になるか。
大人のテンポにバテずに付いてこれるか、を。
さらに普通級と支援級の先生が同席して、息子が困った時はどう対応するのかの面談ももたれました。
やはり物理的な距離もあり、当日は私も新幹線で後から追いかけて立ち寄る施設の近辺で待機することになりました。
何かあって先生方が誰も対応できなければ、すぐさま強制終了で私が引き取る、と。
そこまでして臨んだ修学旅行。
結果は、集合場所の駅でリタイアでした。
一番大きな敗因は、思いの外重くなったリュックを背負い駐車場から駅まで15分ほど歩いたために、不安が強くなってしまったこと。
個包装の軽食に高カロリードリンクを入れた水筒や経口補水液、その他しおりや筆記用具。
『これをしょって制服着て、1日歩くとか無理じゃね…?』
どんどん青ざめてテンションが下がる息子が回復することはできませんでした。
ここまで準備してシュミレーションするべきでした。
駅前で粘りましたがダメで、先生方の携帯に力なく連絡すると…
『でも最初から諦めずに準備して駅まで来れたことは無駄ではないですから。
本人にもそう伝えて下さい。
それと保護者さんが負担でなければ、午後のテーマパークに合流も可能ですから…お金の負担が発生してしまいますが、もし気持ちを立て直せたらお待ちしてますよ。』
全否定でない言葉に、胸が熱くなりました。
しかし駅前の駐車場で粘ること数時間。
テーマパークに間に合うギリギリの新幹線の時間までに気持ちを立て直せませんでした。
『行けても、向こうで1時間もいられる自信がない』
私自身も心が折れてしまいました。
こうして修学旅行は幕を閉じました。
旦那に連絡するも、言葉少な。
こういう時、本人には何て声を掛ければいいのか私にも分かりませんでした。
行かなきゃ、と焦った親のエゴで追い詰めた?
本当に心の底から、本人は行きたかったのか?
暫く気持ちの整理をして、また再スタートをするしかないですね。