村八分(むらはちぶ)という言葉があります。

 

八分とは冠・婚・建築・病気・水害・旅行・出産・年忌の8種のことで、これらは制裁が加えられる対象となり、村人は関わる(助ける・手伝う)ことはありませんが、残りの2種である火事と葬儀は別とされていました。

 

つまり、火事と葬儀の時は、どれだけ「除け者」扱いされていても村全員で行う、それだけ大切な行事だということです。

 

先日、安倍元首相の国葬が行われましたが、その同日、同時刻に多くの抗議活動が行われました。

 

国葬への賛否はかなり声高になっていたのでご存じの方も多いかと思いますが、いざ始まってしまえばそこは静かに故人を偲ぶのが人の道というものです。

 

黙祷の時間にタンバリンや太鼓を叩いて喧噪を巻き起こしていたことが記事になっていましたが、人の道を大きく外れた行為だと思います。

 

なぜ、どれほど嫌われていた人でも「火事」と「葬儀」は村人総出で行っていたかをよく考えなければなりません。

 

火事は放っておいたら村全体が焼けてしまうかもしれないですし、葬儀もきちんと行わなければ衛生的にも問題が生じます。

何より死人(故人)は特別な存在である、という精神的な問題でもあるからです。

 

国葬を反対する人は「税金の無駄遣いだ」ということが主な怒因みたいですが、仮に80億円かかったとしても1億2千万人の国民がいるのであれば「一人60円」の出費です。

 

通算在籍日数3,188日、歴代最長の長きに渡り日本の政治を纏めてきた安倍元総理。

人間ですから完全ではなく、多くのミスもあったかと思います。

 

ただし、です。

 

どのような方であれ故人を偲ぶ

 

これは生者の人としての生きる道なのではないでしょうか。