「まだ、死んでなかったの?」

 

非常にセンシティブな表現で申し訳ございません。

 

今日は文化の日と言うことで、一つ気になった「文化」をご紹介。

 

旧知の知人と再会したときに、よく「お久しぶりです。お元気でしたか?」といった意味合いの挨拶をします。

特に親しければ「まだ、いた(存在している)の?」「まだ、生きてるの?」みたいに冗談っぽく言うこともあるかもしれません。

冒頭の「まだ、死んでなかったの?」も、海外では冗談半分での挨拶で聞いた事があります。

 

さて、今日、久し振りに会った外国人(50代・日本語を母語としていない、以下Aさん)が先輩日本人(以下、Bさん)に対して、冒頭の言葉を投げかけました。

以前はともに住んでいたので、Aさんからすれば「旧知の仲」だし、「親しい間柄」としての言葉遣いだったかもしれません。

しかし、この言葉を受けたBさんの顔は、一瞬で引きつりました。

 

こちらのBさんは80代半ばに差し掛かり、体調の衰えとともに、「死」を日に日に意識しないではいられない状態です。

勿論、久し振りに会えば、そんなことは知る由もないでしょう。

だからこそ、その可能性も考えての挨拶が必要なのです。

 

このAさん、さらに悪いことに、Bさんの返事がないことを「聞こえなかった」と勘違いし、さらに大きな声でもう一度「まだ、死んでなかったの?」とやりだしました。

 

さすがに見かねた私は、Aさんに注意しました。

Aさんには「失礼にもほどがあるでしょう」と声をかけ、Bさんには「Aさんは言葉と思慮が足りなくて、申し訳ございません。」と詫びを入れました。

 

言葉には力があります。

 

特に、近くで発する肉声には、とても大きな力が。

 

ツイッターに「センシティブな内容が含まれている可能性のあるツイートです」との警告文がよく目に留まります。

「内容が過激(特殊)な可能性があるから、注意してね」という意味です。

 

話し言葉は、予め注意することなく、予告なく相手に届きます。

 

だからこそ、「正」としても「負」としても、その威力は強力なのです。