大人の古事記講座55 イザナギ・イザナミ3 国生み

    

 前回は、史学は原文と妄想・空想を行き来する奇妙な解釈の継承である。宇摩説は現実重視しで、歴史的・合理的に解明するまったく新しい古事記の残す古代(弥生=神話)の社会・歴史を書いた。

   

 そして、宇摩説の方が単純・明解であり、しかも、弥生初期に宇摩志(略)神が、稲作中心で国を固め、紀元前後(広矛など)にイザナギ・イザナギが二度目の国固め交流の芝居で説得したと解いた。

      

 宇摩説の解釈は、歴史として、古事記が日本建国から始め、以前の神々を、神代7代として挿入しているなど、古事記が歴史として前後に関連しながら継続的に進んでいまる。

        

        

 今回も「やさしい古事記講座22」の一部(原文・通説・直訳)を、コピーで紹介しますが、宇摩説の説明は、下記URLで,読んで下さい。

   

 やさしい古事記講座22 イザナギ・イザナミ3

   

 イアザナギ・イザナミ3、象徴芝居で交流促進

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/378723/

    

<一部コピー>


        *****  通説(3)  ******


 「お前は右からまわり、自分は左から廻って逢おう」と約束して、柱を回り、二人が出会うと、イザナミが先に「あぁ、なんていい男なんでしょう」といった。
イザ ナギは、「あぁ、なんと、いい女なんだ」と応じた。

 
 それから、兄妹は交わるが、生まれたのは身体が未完成のままの水蛭子(ひるこ)と淡島だった。


これは悪いしるしに違いないと考えた2神はこの子らを葦船に乗せて した後、天神におうかがいをたてる。


        *****        ******

  原文
爾、伊邪那岐命、詔、「汝者、自右廻逢。我者、自左廻逢」約、 竟廻時、


伊邪那美命、先言、「阿那邇夜志愛袁登古袁
後、伊邪那岐命、言、「阿那邇夜志愛袁登売袁


各言竟之後、告其妹曰。「女人先言不良」


雖、然、久美度邇興而、生子、水蛭子。此子者、葦船而流去。
次生、淡島、是亦不入子之例。

直訳

 イザナギはミコトノリ(詔)して、「汝は右から周り逢おう。自分は左から周り逢う」
約束して廻り終わる時、イザナミが先に、「アナにヤ(ヨ)シ、えぇおとこよ」行った。

   
後に、イザナギが、「アナにヤ(ヨ)シ、えぇおとめよ」と言う。この後、妹に曰く、「女人が割きに言うは良くない」

   
 しかし、クミドに興して、子を生む。ヒルコ。この子は、葦船にて、流す。

   
次に、淡島を生む。是もまた、子の例に入らず。

<コピー、以上>

   

   

   

* 22の記事にコメントで、イザナギがイザナミに”ミコトノリ(詔)”をしているのも、宇摩説がイザナギが高天原の神、イザナミは国神の役のためである。と書き込まれた。

   

 この時まで、別の面から、アマ神(イザナギ)、国神(イザナミ)と解いていたので、気付かなかった。確かに、夫婦で詔はおかしいし、イザナミの返答も曰くになっている。

   

 つまり、宇摩説で、この話は説得のための芝居だと、解いた内容の補足にもなっている。古事記は迷彩しているが、幾つも鍵を色々な処に残し、どこかで、気付くように書かれているのだ。

   

    

  イザナギ・イザナミ3 国生み不成功

   

 さて今日の部分は、二神が左右に分かれてアマノミハシラを巡り、行き会ったところで結婚と通説ではなっているが、宇摩説では、海路を巡って行き会ったところで国固めの交渉が始まるとする。

   

 ミトノマグハヒは、史学は有らぬ妄想で、セックスと言う、しかも、このセックスで西日本の各地が生まれたと言う。つまり、妄想と現実の往来解釈である。これらも、22に説明している。

   

 この部分は、オノコロ島(自ら申し込んだ島)でも、交渉が不味いと失敗するということであり、まだ、二神が国神との交渉に慣れてないと言う事もあろう。

   

 宇摩説を簡単に言えば、ミトは港、マグアイは目を合わす。つまり、過不足目を合わせ、真剣に補い合う交渉をしたのだ。なお、通説は「ミトを性器」と解して疑わずである。

   

 そして、交渉が決裂、国固めが失敗した。つまり、交渉決裂だ。これが二度に及んで、高天原(北四国中央。燧灘を見下ろす高天原(山、豊受山)に戻り、国神の要求や対応の相談をする。これが次回である。
   

<2012,2,1「大人の古事記講座」55、イザナギ・ミ3>