大人の古事記講座、54 イザナギ・イザナミ2

   

  はじめに 通説は結婚、宇摩説は交流芝居

   

 前回は、天神の指示によって、国固めを命じられ、矛(天之沼矛、あまのぬぼこ)を授かって、二人で舟に乗り、「ココオオロロ」と、櫓を漕いで出発して、オココロ島に着いた。

   

 自ら支配下になる事を申し出たオノコロ島であり、ここで、イザナギ・イザナミは、誰にも判る様に、納得できるように、例えを使って国に固めの交渉をするのである。

   

 今日の部分は童話でも有名な箇所だが、史学では、二人の結婚=セックスと解釈している。二人の使命は国固めだ。結婚が、何故、国固めになるのか?この説明は一切ない。

   

 舟に乗って天降り、着いた地で結婚した。子供が生まれたという解説の史学は文章だけの非常に幼稚で浅薄な解釈といえるだろう。

   

 宇摩説では、国固め、結束を説得するお芝居であり、判りよく、面白くする例えを話したのだ。つまり、国々で不足する部分を、高天原が補うという交渉のお芝居である。

   

 ここも、「やさしい古事記講座」21で、通説・原文・直訳などと、宇摩説の解釈を載せている。この原文直訳などは、コピーして下書きにまとめて残せば、今後のブログで原文などが揃うことになる。

   

   

  やさしい古事記講座21 

   

 イザナギ・イザナミ2 国固め出発 結婚(縁結び、交流)

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/377377/

   

<コピー>


   原文
 於其島天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。


於、是問、其妹、伊邪那美命、曰、「汝身者如何成」
答白「吾身者、成成不成合処、一処在」


爾、伊邪那岐命、詔「我身者、成成而成余処一処在。


故以此吾身成余処、刺塞汝身不成合処、而、以為、生成国土。生奈何」


伊邪那美命、答曰、「然善」

  直訳
 其の島に天降りまして、天之御柱を見立て、八尋殿を見立て、これにおいて、其の妹、イザナミに、これを問いて曰く、「何時の身は如何に成る」


答えて教え、「吾が身は成り成りて、成り合わず処、一つ処在り」

   
そこで、イザナギが、詔して、「我が身は、成り成りて、成り余る処、一つところ在り、故に、我が身の成り余る処、此れを以って、汝の身の成り合わぬ処を刺し塞ぎ、もって、国土を生み成そう。生むは奈何?」

   
イザナミの命は答えて、「されば、善し」と言った。

<以上>

 この場面は、「卑弥呼の謎を解く、(古事記編)」に概略を書いている。こちらの方が詳しいが、出来るだけ、重複を無くしたいので、簡単に書く。判りにくい時は、参照して欲しい。ここに出る、天之御柱と、セックス解釈部分を書いている。

<以上、大人の古事記にコピー再掲>

   

      

 やさしい古事記講座21で、史学と違う宇摩説の国固めのイザナギ・イザナミの話を解釈・説明をしているので、ぜひ、読まれたい。宇摩説は前後に整合した解明である。

   

 宇摩説では、国体が緩んできたので、天の神がイザナギ・イザナミに矛を与えて、国を固めるように指示した。そこで二人は舟で出発して、着いた地で、人々良く判るように、地域の過不足を補い合うと説得したのである。

   

 なお、見立てた天の御柱は高天原(の在る、四国)、つまり、四国の東西南北の海流で全国に往来した象徴である。


八尋殿は高天原の住居の指導を受けて建てた地域の主(人々)を象徴したのであろう。御柱の周囲(海)を回るのは海路交流などの象徴、この芝居は実態をシンボル化して好く工夫されている。



* 追加、52で書いた”伊予・宇摩”の字義は、宇摩説の言う、古事記の「迷彩と保存」の保存関係である。つまり、伊予は「予言の指導者の国」で、卑弥呼の居た場所であり、事実を残している。