古事記冒頭に、高天原の神として、三柱の神が居る。この内、最初の天之御中主神は、瀬戸内の中心の神だから、北四国の平型銅剣の主である。


タカミ結びとカミ結びは、瀬戸内東西の近畿と九州の主であり、タカミムスビは九州、矛文化の主、カミ結びは近畿の銅鐸文化の主であり、この3名が集まって、高天原(統治機構)を作り、建国したのだ。




  「大人の古事記講座」(35)古事記冒頭7 まとめ

   

 * 古事記冒頭(「やさしい古事記講座3」原文、読下し)

   

<やさしい古事記講座3 高御産巣日神・神産巣日神>

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/356152/

   

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 古事記原文
「天地初発之時、於高天原、成神名、天之御中主神、次、高御産巣日神、次、神産巣日神」
とある。

   

この書き出しの原文は二度ほどブログに書いた気がするが、自分で探しても出て来ないので、書く事にした。

   
 読み下し
「天地(あま・くに)が初めて発する時に、高天原において成る神の名、あまのみなかぬしの神。次ぎ、たかみむすびの神。次、かみむすびの神」<以上>*このブログ 昨日読んでくれた人が多い。
   

      

  はじめに

   

 古事記冒頭は、宇摩説と史学解説の根本的違いが明確に判る。そして、同時に古事記は迷彩しながら、史実も残すという究極の記述になっている。

   

 だが、これまで、史学では神話は考古学的に何時の時代か?などの科学的分析が無く、歴史的解釈も無く、タダ表面上の迷彩文を解説したに過ぎない。

   

 宇摩説は神話が矛(天沼矛など)、剣・鏡などの使用から、弥生時代に伝わった青銅器の道具であり、当然、神話は弥生時代の伝承と時代を特定した。

   

 これによって、宇摩説は高天原・天之御中主神など言葉の意味すること、神話に登場する地域の人々の共通認識だったなど、基礎に解明を試みた結果生まれたまったく新しい解釈である。

   

 宇摩説は古事記解釈を弥生時代の伝承として歴史的・科学的・合理的解明を行ったのであり、これまで、同様の分析・研究を行った痕跡すらない前人未到の新解釈である。

   

   

  銅矛文化圏と高御産巣日神(九州・建族)

   

 ここで、古事記冒頭とは少し前後するが、近畿圏の銅鐸について触れておこう。弥生時代の近畿の銅鐸が神話に出てこないのは、記紀編纂を指示した朝廷にとって、不都合だったためだ。

   

 本来、近畿の方が、平和的で高天原時代の思想・行政の基層文化に一致が多かった。後に朝廷となった九州文化は、建族であり、気が荒い面があったようだ。

   

 だから、政治の面では、近畿の神産巣日神の上に居ても、意見は余り採用され無かったので不満を募らせたのだろう。この例はオオクニヌシの国譲りにもある。

   

 天神地祇で意見同意が無い(争う)時は、最初は話し合いの使者が立ち、何時までも解決しないと、最後には建族が収拾に当たり治めるのである。

   

 これは大国主の国譲りでも、明確に出ている。つまり、高天原の軍備面も建族が差配していたのだ。古事記物語は端的な例を残したのであり、似たことは全国にもあったと見て良いだろう。

   

 この例は、ウケヒ(誓約)でも同じであり、ウケヒで他人が親子関係になるのは、その後の日本社会、例えば、武家社会、商家の行儀見習いなどで、習慣となって残っている。

   

 全然、マトメにならなかったが、一応、古事記冒頭を終わる。「やさしい古事記講座3」を読んで頂くと、なお、判りようと思う。

   

<2012,1,11「大人の古事記講座」35、古事記冒頭7>