前回(9)では、古事記の4番目のウマシアシカビヒコヂと延喜式の残る宇摩郡に付いて、元は広い地域であった事、この地域だけが布団山車(太鼓台)は7枚以上積むことなどを書いた。


古事記のウマシ(略)神の説明を後回しにして、宇摩郡や太鼓台を書いているのは、新説、宇摩説が古事記と倭人伝などの文書と、考古学、民俗学などの整合で解いたからだ。


ウマシ神と宇摩地名、燧灘・豊受山・津根


先に宇摩郡の海はヒウチ(燧灘)を書いたが、宇摩地名と神話の関係は、これだけではない。まず、宇摩平野から見上げると最高峰に見える山が”豊受山”(1247)である。


トヨウケは説明の必要も無いだろうが、伊勢神宮の外宮が”豊受大神の神宮である。そして、豊受山に豊受神社があり、有史以来2年毎の遷宮を続けている。


また、延喜式の宇摩郡には津根郷がある。ツネは今後の神名に関係するので、簡単に言えば、豊受山は東西の法皇山脈にあり、南北の地名がツネなのである。


戦前までは豊受神社の20年の遷宮は、南北のツネの住民が交互に行ってきたが、戦後は南の山間部の住民が激減して、今は北側の住民が20年毎の遷宮を実施している。


宇摩地名はウマシ神に一致するだけでなく、その他の地名も神話に一致するものがあるが、今回は代表的な宇摩地名だけにする。このほか、地域の神社の祭神が神話の神々で特異である。


例えば、天照大神を祭神とする神社が、地域の神社から祠まで、様々に祭祀される。また、全国ではほとんど見られない、ウマシかみや5番目、6番目の神も祭祀されている。


宇摩説を読んだ全国の皆さんも、地域の神社を訪ねて祭神を調べれば、宇摩郡の祭神が特異な事が判るでしょう。普通は神話の神を祭祀する地域はほとんど無い。


ウマシアシカビヒコヂの名に一致する宇摩郡は調べると特異な地域であることが、先の太鼓台・地名・神社などに残るので、直ぐに輪あるのだが、これを系統的に調べた人が居なかったのだ。


太鼓台の話も後回しで、宇摩郡の基礎知識を先に書いた。宇摩郡の地名や行事、太鼓台・神社などは古事記を解く基礎資料であり、今後の話に必要なのである。