まだ9月の記事ですわ
もう10月も下旬ですのにね
菊水楼の鰻、うな菊さんへ
出かけてきました
途中、猿沢池がライトアップされていて
きれいでした
菊水楼
老舗の構えが好き
門をくぐって左手に
うな菊への門があります
玄関につづく
このアプローチが好き
こちらがうな菊さん
次女の彼氏といっしょに
少し緊張されていたみたい
もっと気楽に焼肉とかの方が
良かったかな
ここは老舗のしつらえがすてきです
残念なことに創業一族は撤退され
企業が入って
老舗のおもてなしがあまり感じられません
でも場の力は替え難く
これからも訪れたいところです
初秋の朝焼け
曼珠沙華が川べりを彩ります
〜〜〜
やっと10月の記事に入ります
ワインの会に出かけてきました
ボルドーをお勉強🍷
自作の型染め半衿を
初めて使いました
同じく型染めの結城紬の帯と合わせて
長着は江戸小紋の両面染
オモテ万筋とウラ鮫です
柿の葉寿司
夫実家でとれた
柿と冬瓜の酢の物といっしょに
柿の葉寿司の始まりをご存知ですか
それは紀州の殿様が民に課した
重税から始まりました
少し前にとある会で書いたものが
ありますので載せますね
〜〜〜〜〜〜
先人たちの知恵と海と山の幸が詰まった
奈良県民の定番ソウルフード
鯖の旨みがじっくり染み込んだ酢飯に柿の葉の香りがふんわり。
独特の風味で知られる柿の葉寿司は、言わずと知れた奈良県民の定番ソウルフードです。
一口サイズで手を汚さずいただけるからイベントなど集まりの場で重宝されるし、奈良を代表する手土産としても喜ばれますね。
そんな柿の葉寿司にまつわるルーツのお話はご存知でしょうか。
柿の葉寿司は少なくとも江戸時代の中期には五條や吉野川流域で食されていました。
「海なし県」の奈良の、さらに山深き奥吉野でなぜ?
答えは「鯖街道」と重い年貢にありました。
「鯖街道」と言えば福井〜京都が知られていますが、実は紀伊半島にも「鯖街道」がありました。
当時、紀州藩が漁師たちに重い年貢を課したことから、漁師たちは年貢を工面するために熊野灘で水揚げした鯖を塩で締めて山を越え、大変な苦労をして吉野川沿いの村に行商をしたそうです。
ちょうどその折、村々では夏祭りが開かれていて、なかなか口にできない海の幸は「ハレの日」のごちそうとなりました。
塩締めした鯖はそのままでは塩辛く、薄く削いでごはんに乗せて食べるようになり、また、柿の産地ですから防腐効果もある柿の葉で包むように。
それに重石をして発酵させておいしく保存性を高めました。その昔は寿司飯ではなく白米を発酵させた「なれ鮨(熟れ寿司)」だったのです。
やがてそれは寿司飯に変わり、塩も減らして食べやすくなった今の柿の葉寿司となりました。
先人たちの知恵と海と山の幸が詰まった柿の葉寿司は、こうして各家庭で親しまれるようになったのです。
さて、手軽においしい柿の葉寿司ですが、これからの季節、ごはんが冷たく硬く感じられることも。
そんな時は「焼き柿の葉寿司」はいかがでしょう。
オーブントースターで葉っぱごと5〜6分焼くだけ。魚の脂も柿の葉の香りもごはんになじんで、ふっくらした一味違うおいしさが楽しめます。
冷蔵庫などで冷えすぎてご飯が硬くなったときにもおすすめです。
お試しあれ。