まず、なぜインドアで趣味の話だけ書く私がこれを書くか。
考えてみましょう。
「こいつは物事を知ったかぶって自己顕示欲を満たしたいナルシシストだ」
「この類いの物を書いて人気だそうとしてる」
「語彙も少ないくせして調子のってる」
色々考えると思います。
私がなぜ柄にもあわずこんな、人の生き方みたいなのを書くかというと、
自分のためです。 それと同時にこのブログから部分的に自分に合うものを見つけて考えを広くしてほしいからでもあります。部分的でいいんです。
例えば、読んでる人が何歳かなんてわからないけれど、部活に入っているとします。
自分なりに頑張って練習をしていました。
その部活には練習に厳しい先輩がいたとしますね。
その先輩が
「おい、お前、集中して練習しろや」
とあなたに言ったとします。
あなたはここでどう思いますか??
「自分なりに努力してんのになんやこいつ、俺に当たるなや」
とか思うかもしれない。
ここで先輩側の視点になってみましょう。
今年入った新入部員どもはダメだ。 練習中に会話しやがるし声も小さい。指導が必要だ。
そうして先輩はあなたにちゃんと練習しろ、と言ったとします。
でもあなたは頑張って練習していた。 矛盾してる!と思うかも。
でも、人は自分のみの視点では認められることは難しいのです。
あなたの頑張りは飽くまでも「自分なり」であって、完璧な頑張りにはなりません。
客観視が必要なのです。 この客観視は案外簡単。 でも見落としがちです。
実際私も、昔、「なんやこの糞野郎、ワイの努力わかっとらんやんけボケカスが」
と、頭に血をのぼらせていました。
上の用に、自分の視点からのみで考えてしまうのは愚かなことなのです。
私はしばらくしてその先輩の視点に立つことに成功しました。
そうすると、「確かに声は小さかったし、だれていたなぁ。」
と気づけます。
「いやいや(笑)。 俺お前みてえに頭弱くねえからそんなことないって(笑)」
と、思う人もいらっしゃるかと予想できます。
でも、「自分の非」を誰からも伝えてもらえられなかったら、ずっと、他人から良い目では見られないでしょう。ハロー効果でそれが隠れることもあるかもしれませんが、誰かと親しくなると、それが露呈してきます(これも実体験)。
客観視する方法は、始めは「他人から直接、間接的に伝わる」というものです。
人からそれはどうなのかと言われたり、視線であったり、物語を読んで嫌なキャラクターを憎むときなど、色々ありますね。
このブログもそれに入ると言えるでしょう。
意外にも客観視のチャンスは日常に大量に転がっているのです。
個人の視点は偏見である、といっても過言ではないでしょう。
もしかすると今の嫌な上司に対し、苛立ちを感じている人もいるかもしれない。
考えてみましょう。その上司の視点に立って。
ただ、そんな勤勉な奴、いねえよって思う人もいるでしょう。
それでもそいつの視点に立ってみましょう。
そうして、何か自分の非を見つけても、上司の嫌な感じが解消されないとなると、その上司は客観視ができない愚者、と言えます。
ただ部下を自分のストレスの発散材料にする屑なのです。
ここまで読んで耳が痛い人もいるかもしれない。
でもそれで良いのです。 今からそれを直せばいい。 客観視すればいい。 接し方を変えればいい。
部活の例に戻りますが、客観視できれば先輩の言葉に無駄にストレスを抱える必要もなくなる。
客観視で日常において様々なことが解消できる。
私はこれを書き留めておきたかった。自分のために、同時に他の方のためにも。
あなたのストレスもそれで解消できるかもしれない。
一度、改めて客観視を試みてみるべきではないだろうか。
