「くどいようじゃが、もう一度話を戻してみるぞ。つまり、家康が将軍の座を倅の秀忠に譲ったのは、豊臣家復活の夢を諦めさせるためではなかった。しかも眼の黒いうちに片付けておこうとしたのは、秀頼を殺すことでもなかった。真相は、朝鮮侵略の後始末をウヤムヤにするための作戦だった……、という話だったな?」
長兵衛がこれまでの要点をあらためて確認すると、江原頭角は大きく頷いた。
「何度も同じ話をさせておるようで申し訳ない。歳を取ると、こんな 体たらくよ」
「いえ、権力者の手法をまさに再現しているといったところです。念仏のように何度も何度も繰り返すことで、民衆の脳に刷り込むのですよ。そうすると、それが真実として定着する」
「そういうものかもしれぬ。さあ、続けてくれ」
「はい。民の心を読むにかけては超一級の家康だけに、淀殿と秀頼を殺して憎まれ役になるつもりはない。それで秀頼が成長するのを黙って見過ごしておったのです」
「早い段階から、秀頼が武装蜂起しようとも恐れるに足りず、と見切っていたと言うのだな」
「ええ。もはや豊臣家に味方する戦国大名がいないことは、関ケ原の合戦で明らかになっていましたから」
「いや、加藤清正や福島正則らは三成憎しで家康に加担しただけで、秀頼をないがしろにした訳ではなかったはずだぞ」
実際に彼らは三成の伏見屋敷を襲うそぶりを見せ、それが三成を佐和山城に籠らせることに繋がった、と世間の人々は信じ込んでいる。
「それも看板のすり替えですよ」
江原は一言で世間の常識を否定した。
戦いは始まる前に勝負がついている。太閤亡き後は秀頼と家康のどちら側につくのが得策か? その見極めを間違えば己も、己の一族・郎党も死ぬことになる。それが戦国武将の宿命だ。
だが、それを見抜かれたら、太閤子飼いの加藤清正らは恩知らずの卑怯者と世間の袋叩きにあう。それゆえ「三成憎し」の看板を掲げて世間の目を欺いた。
その結果、石田三成は「虎の威を借るだけの偏狭で器の小さい嫌われ者」という人物評が定着してしまった。
「つまり家康は自分の嫌な性格をみんな三成に転嫁してしまったのです」
そこまで江原に解いてみせられると、「では、結論を聞かせてもらおう。なぜ、秀頼を殺す気になったのじゃ?」と長兵衛は 気色 ばんだ。
その途端に、「ちょっと厠に行ってくる。近頃は小便が近くて面倒なのじゃ」と