第八話 短編小説・奮闘真田幸村② | 矢的竜のひこね発掘

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ご当地在住の作家が彦根の今昔を掘り起こします。

 江原の原稿は右上の隅を紙縒(こよ)りで()じ、その下に「合戦準備」と見出しが付けられていたので、長兵衛にとっては都合が良かった。 

 

 軍議を終え立ち上がった幸村は、大野治長に呼び止められた。珍しいことではない。時々、雑談の相手をさせられている。

 豊臣家の命運を担う重圧から一瞬でも逃れる(すべ)として、己を頼ってくれている。そう思えば、悪い気はしない。

 

 実はその機会を、今日の幸村は待ち構えていた。短い雑談の後、いつものように「何か不自由はござらぬか」、と聞かれて、すぐさま無心したのは、真田丸での手柄を笠に着た慢心からではない。

 自ら武具調達掛と談判して、説き伏せる煩わしさを避けたかったからだ。

 

「恐れながら、所望(しょもう)したき物がございます」

 幸村が並べ立てた品物に、治長は驚いた顔を見せた。

「千人分の当世具足、旗印や指物、それに馬につける(あぶみ)や鞍、手綱(たづな)まで全て朱塗りとは……。赤備えは今や井伊家の代名詞になっておるが?」

 

「むろん承知しております。されど井伊の赤備えは、武田の模倣に過ぎませぬ」

 信長は甲斐の天目(てんもく)(ざん)の麓で武田勝頼を自決に追い込んだ後、武田家臣は皆殺しにせよ、と命じた。だが、家康はひそかに彼らを匿っていた。それから数か月後に信長は命を落とし、武田家臣は晴れて徳川家に仕えることになった。

 

 勇猛で鳴る旧武田家臣を家来にしたい。榊原康正を筆頭に多数の重臣が申し出たが、家康は百数十名の大半を井伊直政の配下に付け、武田の赤備えを踏襲するよう命じた。

 それ以来、徳川出陣の際は井伊家が先鋒を務めるのが(なら)いとなり、井伊の赤備えは世に知れ渡るようになっている。

 

【大坂夏の陣図(若江合戦図)山縣岐鳳筆/彦根城博物館で展示中:井伊の赤備えが木村重成勢を攻めている)

 

 治長もそうした経緯は承知しているとみえて、納得顔で確かめた。

「かつて武田家に仕えていた真田家は、赤備えに一日の長があると申されるのだな」

 それだけではござらぬ、という言葉を呑み込んで、幸村は黙って頷いた。

(真の狙いは伏せておくほうがよい)」

「わかり申した。お安いご用じゃ。わしから掛りに伝えておこう」

 特注の具足の無心に眉ひとつ動かさず、治長は請け負ってくれたのだった。

 

 長兵衛が読み終え、口を開こうとするのを遮って、江原は「「死兵(しにへい)ども」と題された別の紙束を突き出した。

「先ほどの(くだり)のあと、大坂城の堀が埋め立てられ、城外決戦を挑むしか手がなくなった夏の陣直前の場面です。敗戦を覚悟した幸村は、傘下の志願兵をむざむざ死なせるのはしのびない、という心情から城外逃亡を勧めました。その情景です」

 江原の補足に頷くと、長兵衛はむさぼるように読み出した。

 

「おまえらは仲間を誘ってここから去れ。今を逃がしたら命はないぞ」

 二人は束の間、あっけに取られた顔で幸村の顔を凝視した。

 しばらくして八之丞は我にかえり、泣きつくように懇願した。

「い、いくら殿さんの命令でも、そんだけは聞けへん。勘弁してえな」

 その通りとばかりに、不動丸茣蓙(ござ)に額をすりつける。

 

 そう出るであろうと思って、幸村は切り札を用意していた。

「わしは最初から、おまえらを虫けらとしか思っておらぬ。せっかく死に花を咲かそうと思っておるのに、汚らしい虫けらが周りに(うごめ)いておっては台無しじゃ。つべこべ言わずに、とっとと消え失せろ」

 相手の嫌がる点をつくのが一番効果的であろう。そう考えて捻り出した捨て台詞(ぜりふ)だった。

 

「勘違いしてもろたら困ります。わいはあんさんに忠義立てして死ぬんやない。おっかあと約束しとるさかい、死ぬんやでぇ」

予想もしない八之丞の答えだった。

 

(どうも大坂城に来てから勝手が悪い)

後藤又兵衛、木村重成、長曾我部盛親、明石掃部、大野治長……。相手は変われど、意表を突かれ驚かされてばかりだった。その上こやつらにまで……。

 

 長い蟄居暮らしで呆けてしまったのか、と幸村は舌打ちした。

「母親との約束で死ぬだと? 馬鹿を申せ。どこの世界に、(せがれ)が死ぬのを喜ぶ母親がおろうか」

(もっと気の利いた嘘をつけ)

 鼻であしらったつもりだった。

 

 すると、相手は腰を据えて語り出した。

「わいの親父は堺の鋳物師を束ねる元締(もとじめ)やったんや」

 だが父は、長男の八之丞に仕事を教えようとはしなかった。

 なんで教えてくれんのや。八之丞は怒り、暴れ狂った。見るに見かねて母親が言って聞かせた。おまえに継がせるほど、もう仕事はあらへんのやと……。

 八之丞の話はそういうところから始まった。

 

(信長に取り入った津田宗久が、堺に鉄砲鍛冶や鋳物師を搔き集めた頃と違って、鉄砲が過剰になるにつれ仕事は激減していったのであろう)

 幸村は気の毒に思いながら聞いている。

 

「すんまへん。自慢できる話やないんで、ぐっとやらしてもらいますわ」

 傍らの徳利に手を伸ばし口飲みすると、酒臭い息を吐きながら八之丞は喋り続けた。

「それからは悪さばっかりしまくりや。とうとう、人の仕業(しわざ)とは思えん悪さまでやってしもた。それで捕えられ、山ん中の岩牢に押し込められ、死を待つだけの身になってしもたんや」

 

(強盗、強姦、はたまた一家皆殺しでもしでかしたか……)

 最初に出会った時から、ただならぬ悪党という印象はあった。

「一里以上ある山道を、おっかあは毎日歩いて()()りました。たった二つの握り飯を届けるために」

 母親に許されたのは、その行為だけだった。

 

 子供でも物足りないほどの小さな握り飯二つ。そうしておけば、遠からず痩せ衰えて死ぬ。それが課せられた罰だった。

 八之丞は飢えに耐えきれず、岩を這い回るナメクジや虫、蛙を捕え、苔や土まで削って食い、露命をつないでいた。

 

 横殴りの雨が降っても、山が吹き飛ばされそうな強風が吹いても、母親はやってきた。

「無理して来んでもええ」

 牢格子に泣きついて頼んでも通じなかった。

『わてが産んだ子やさかい』、と呟くだけで、母親は決して泣き顔を見せなかった。だが、帰路につく背中はいつも震えていたという……。

 (20日に続く)