ククク
札幌から帰って来た昨日は、新宿にある総合格闘技ジム
「和術慧舟會HEARTS」
に出稽古に行って来た。
和術慧舟會は、俺がドラゴンゲートに入門する前に4年間通った総合格闘技のジム。小路晃さんや、宇野薫さんなど日本のMMAを支えた選手達を輩出している総合格闘技界の老舗。
HEARTSの代表大沢ケンジさんは、成増にあった慧舟會の支部・A3出身で俺の直系の先輩にあたる。
大沢さんは修斗を中心に海外でも活躍したMMAファイター。
人生に何度か岐路があるとすれば、和術慧舟會A3との出会い、大沢さんとの出会いは間違い無くその中の一つである。
俺がプロレス界に飛び込む前、思い悩んでいた時期があった。
プロレス界という、”シャバ”から隔絶された世界に飛び込む勇気も無ければ、夢なんてのは偶然が何個も重なって、ごく一部の人間だけが叶えられるもんだと思ってた。
プロレスラーになる!って言って地元を出て来た手前、無理だった!ってノコノコ帰る訳にもいかない。
総合でプロデビューしようかなぁ。そうすれば、年に2試合くらい、ギャラ3万でもプロはプロ。地元に帰ってもなんとなく誤魔化せるだろぅ。
って。
その頃、全てのクラスが終わった後、よくジムに残って大沢さんとあーでも無いこーでも無いと2人でウェイトをやるのが日課だった。
思い悩んでた俺がプロレス界に入る決断が出来たのは、その時に大沢さんの口から飛び出した、
「地図の話」
と、
「松井・イチローの話」
この話はホントに為になるから、ここでは勿体無くて話せません(笑)
この事を大沢さんに言ったら、
「やっぱりあの話効いてたか!」
Y「なんでですか?」
「あの話してから、小野寺完全にプロレスに舵切ったなって思ったから」
Y「そうですね」
「あの話、小野寺にしたのが初めて。今でもたまに使ってる(笑)」
Y「すいません、僕もたまに使わせてもらってます(笑)」
練習後は、近くの焼肉屋で格闘技論、プロレス論、人生論について大いに語り合った。気付いたら4時間(笑)
あれから10年以上。大沢さんも引退して、後進の指導に当たってる。俺はプロレスラーとして細々とやらせてもらってる。
立場は全然変わったけど、俺たちは和術慧舟會。
「慧舟會は俺たちの青春だったな」
僕もしみじみそう思いますm(_ _)m
そんなノスタルジックな夜でした^_^
ヒーヒッヒ
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