特別寄稿~岡田会長に捧げる魂の50神・前編~ | 大和 和会

特別寄稿~岡田会長に捧げる魂の50神・前編~

10月18日、大和は埼玉県吉川市にある前クラブ50会長である岡田会長(ここでは敬称を会長のままで表現させていただきます。)の墓前で献花を手向け、ついに50オーバーを釣り上げた事を報告した。

 

さかのぼること10月14日の午後6時過ぎの事、ホームグラウンドにナイターに向かう途中漢☆タカハシの携帯がけたたましく鳴った。大和からだった。筆者が諸事情で和会を退会してからというものの、プライベートで一緒に釣りに出かける事もなくなってしまい、大和から連絡があることはまれだった。しかしその時の電話音はいつもより大きく、なにか伝えたい特別な事があるように強く感じられた。電話に出るといつも控えめなトーンの大和ではなく、感情むき出しの歓喜に満ちた声だった。『ついにやりました!』その一言だけで何が起きたのかは、容易に想像がついた。いつになく饒舌な大和は片倉ダムで令和2年10月14日、ついに50オーバーを釣った報告を筆者に寄越してくれたのだった!正直な感想は嬉しくもあり、してやられた悔しさが半々だったが、本当なら岡田会長に真っ先に報告したい大和の気持ちが強く伺えたのだった。

こちらは当日10時55分に釣った47.4cmのブタの巨ベラ!

 

2、3日後、少しは落ち着いただろうと思い大和に電話をしてその時の状況を楽しく聞き入っていた時の事、この記事をブログに書いて欲しいと依頼を受けた。正直嬉しかったが、退会した身分で記事を書くのも会員諸兄に失礼だろうとも思った。大和曰く、そこは重々承知だが自分自身はライターではないし、第一自分で記事にするのも自慢するみたいで恥ずかしい。退会したとはいえ20年以上に渡り一緒に50センチオーバーの巨ベラを追い求め、苦楽を共にしたタカハシに書いて欲しいのだという。なるほど。楽な記事にはならないだろうが快諾した。

 

今年の亀山は春の開幕から9月末まで、コロナ禍で一時的な禁漁があったものの、安定した好釣果に恵まれ、ボート店のHPの釣果欄には連日45cm~49cmの巨ベラの数釣りのニュースが景気よく踊っていた。筆者自身の釣行も例年になくオデコの少ない一年だったと記憶している。にもかかわらず大和は亀山には一切目を向けず、今年は片倉一本で勝負に打ってでたのだ。何故か?考えを聞けば理論上の勝算はあることは解ったが、亀山を捨てるということは同時にそれ以上のリスクがあり、とても人様に薦められるような作戦ではなく、修行僧のごとくの精神力(いやそれ以上かも)が求められるものであった。

では亀山と片倉では同じ水系の湖でありながら、どう違うのかをざっくりとではあるが説明してみよう。亀山は尺半以上50上未満のへらの数で言えば圧倒的な数で片倉を上回るが、50上以上だけの数であれば片倉に軍配が上がる。2001年に完成した新しいダムにも関わらずだ。理由は片倉はへらの数自体が薄いので、競争することなく自由にエサを捕食できて、通常より短期間で50上に到達するからなのだろう。

当日の出来事をしみじみと語る大和

 

大和曰く亀山で50上だけを釣り上げるには片倉よりも難しく、運も必要とされる。それをもう少し詳しく説明すると、亀山で50上だけを狙っても46cm~49cmが食ってしまい警戒心の各段に強い50上が結果的に釣れなくなってしまうという考え方だ。しかし、これが片倉だと小さい巨べらに食われことがあまりないので50上だけを狙える釣りが成立するという理論だ。正にオールオアナッシング。釣れれば50上、釣れなければ当然オデコ。簡単に言うが大の大人が20年かけて追い求めても釣れないのだからオールモストナッシングといった方が正しいだろう。事実、片倉の難攻不落度は極端に高く、大和の今年の釣果は過去10回中へらを釣ったのが僅か2回で8回はオデコ。過去、一番沢山釣れた数は僅か3枚。泣きたくなるようなデータだ!これは誇張でもなく、筆者自身は過去4回片倉に出征しているが、すべてオデコである。一方、亀山夏の陣では多くのヘラ師が浅ダナで尺半から49cmの数釣りが堪能した。それに引き換え大和は自宅から片道2時間半往復で5時間の釣行で僅か3枚。言葉にこそ口にしない大和だが、正直うらやましくもあっただろう。巨ベラの釣りはオデコが当たり前なので、精神の安らぎの為リハビリとしてのの釣りが必要になってくるのだが、それをしない大和の心は9月にも入ると疲労が蓄積しはじめてきたのだった。

つづく