「良い伝統」とは? | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

去年の11月に

伝統とは何か①



伝統とは何か②


伝統について取り上げさせて頂きました。

ここで「伝承」と「伝統」との違いについても
書かれてあります。

亀ちゃん様に教えて頂いたことは、

上田正昭先生(京大名誉教授・歴史学者・天皇の御学問の先生)から、

伝承と伝統の違いを聞きました。

伝承は「昔からの事をそのまま伝えること」で、

伝統は「時代時代のニーズ等を上書きしてより高められて伝えること」

だそうで、私達に、「後者を意識せよ」と仰いました。


自分で調べた限りにおいても仰せの通りに解釈しています。



今回は、「良い伝統」について
少し考えてみようと思います。

伝統には「残したいものか」、
あるいは「なくしてしまった方がいいものか」
があると思います。

残したいものに関しては、

残したいと思う人(集団)がいるから残されてきたものがあり、

残したかったけれど、諸事があり残せなかったものは、
記録史上に残されていたりはしますが、
当然のことながら伝統とは言えなくなってしまいます。


また、伝承してきたものも、それを伝承していこうとする人が
一度でも途絶えてしまうと、最早伝承とは言えなくなりますよね。

それを再興していく人がいれば、
伝統として文献資料にあたり、精神的な価値を見出されて
再現されていくことになると思います。



そのように残されてきた伝統行事として、
春日若宮おん祭(春日大社)があります。

春日若宮おん祭りとは、890年もの間、途絶えることなく続いてきた
奈良の一年を締めくくる祭礼です。

12月15日から4日間、春日大社や奈良町一帯を舞台に執り行われ、
かつては「大和一の祭礼」と言われたほどその規模が大きいものでした。

しかし明治維新により
これまで千年以上にわたり世襲制で伝えられてきたことが
伝えられず、数多くのことが消えていったといいます。

このことは決しておん祭りだけに言えることではなく、
多くの神社仏閣で言えることでもあります。

春日大社の方に伺った話によると、
このとき伝えられなかったことは、「教え忘れた」のではなく、
「教えなかった」そうなのです。

それは、世襲制で伝えられてきたことを、
明治政府から派遣された役人が祭儀にかかわることになったことで、
国から遣いに出された何もわからない人に
その家の由緒ある物事を安易に教えることができないという思いからでした。

そこで大事なことだけは絶対に守り、切り捨てていいことは切り捨てられてきました。

現代では江戸時代の史料を読み、明治に伝わらなかったことを正していくことにより、
この大祭りの本来の姿を紐解いていったといいます。

江戸時代までおん祭は、
天下の人々または大和の国の人々の幸せを祈るお祭りであり、
大和中で携わらなくてはならなかったので、
知らない人はいないほど、大和が心を一つにして執り行うという祭礼でした。

神仏に礼を尽くすためにはその行事を
完璧に執り行える人材を育てなければなりません。

大和一体となって執り行われてきた祭礼は、
明治以降、10人に満たない人数だけであっても
続けられてきました。

その後、昭和に入り、
残したいと思う人々の手によって現在の形にまで復興しています。




一方、お寺ではどうかということについて、
法隆寺を例にあげると、
明治の廃仏毀釈のときに、ほとんどの法要が断絶してしまったといいます。

そのとき、宝物だけが残されてしまいました。

昭和大修理のときも、修理の行われていた数年間に、
法要は中断されたものもありました。

このことから髙田長老は、
できるだけ後世に正しい法要を残したいという思いから、
昭和資材帳を編纂しました。
その後、
昭和57年から「慈恩会」(じおんね)という法要を復興させました。


文献資料をもとに再興していくということは、
伝承とはいえないものですが、

「良い伝統」と言えるのではないかと思います。
後世の人へと良い形でバトンタッチしたいという長老の想いは、
これからも良い形で受け継がれていってほしいと願います。


奈良は都が京都へ移ったあと、その政治機能は移転したものの、
人から人へと途絶えることなく文化は受け継がれてきたものが多く、
それが奈良の良い伝統文化を形成している所以ではないかと思います。



それでは、今日も皆様が幸せでありますように。