自分のことより日本国民全体の幸せを祈る | ドット模様のくつ底

ドット模様のくつ底

奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

「自分のことより日本国民全体の幸せを祈る」

私たちは日々、生活におわれ、
自分や身近にかかわる人の幸せだけを
願うことで精一杯ではないかと思います。

「祈るだけではどうにもならない」という人もいるけれど、
祈る場があることは、
孤独や閉塞感を感じやすい日々の生活を少し離れて、
人々とのつながりを感じられる大切な機会を
与えられているように思えるのです。

その場が、
寺社であってもいいし、
スポーツ観戦などの場であってもいいわけですよね。

飽食の時代、セーフティネットも備えられている日本では、
貧困の問題よりも、心の問題が社会問題化しているのが現状です。

そんな誰かの心がツライときに、
優しく救いの手を差し伸べられる場所はたくさんあると思います。



今日は、
薬師寺 管主 山田法胤様のご著書

『あなたに伝えたい生き方がある』(経済界刊)

こちらの一部をご紹介したいと思います。

昭和天皇の詠まれた有名な御歌があります。

わが庭の 宮居に祭る 神々に 
世の平らぎを 祈る朝々


代々、日本の天皇は、平和を祈り、
日本国民の幸せを祈るのが日常です。
その思いがこのような歌となっているのだと管主はおっしゃいます。

「朝、起きたとき、それも毎朝、自分のことよりも
国民のことを思い、日本という国の平和を祈る」

昭和天皇の代では、戦争という不幸な出来事がありましたが、
その時には次のような御歌を残されています。

降り積もる み雪に耐えて 色変えぬ
松ぞ雄々しき 人もかくあれ

昭和20年の終戦の年に詠まれた歌ですが、
これも自分のことよりは、人々のこと、
日本の国のことを思って歌われたものです。

そのように祈りをささげることが天皇の仕事であると解説されていました。

管主は、天皇の御歌を一例として取り上げ、

皆さんには自分を愛する気持ちも大事にしてほしいけれど、
それと同様に人を慈しむ、その心を是非もっていただきたいと
著書で伝えていらっしゃいます。


私が寺社にいくのは祈る場があるからです。

政教分離は必要なことである考えますので、
何も教育にしっかりと宗教を取り入れてほしいとは思いません。

ただ、寺社というのは、宗教というより道徳や自制心、
不特定多数の人々と「平和」を願うという、
同じ思いで祈りを捧げられる場であると思っています。

平和を祈ることや自分を信じることをどこで教えられるのかというと、
寺社がわかりやすいのではないかと思うのです。

宗教アレルギーな人で、「そんなところはなくたっていいんだ!」と
思う人がいれば、その思想の自由を尊重します。

また、合格祈願や心願成就も自由だと思います。
それによって、自分の合格したい強い意思を高めることになれば・・・

永年続いてきたことというのは、
日本人とは何かを教えてくれることであったりもします。

最近では、マンガやアニメが日本の新しい文化として、海外でも人気があるようですが、
寺社では、日本の歴史を感じられる文化が残されているところですので、

ここでしっかりと日本を学ぶことができると思います。




日本の平和、世界の平和をともに祈る場の一つとして、
寺社はこれからも残されていってほしいと私は思っています。


今日も皆様が幸せでありますように。


あなたに伝えたい「生き方」がある―心しなやかに心豊かに生き抜く仏法の教え/経済界
¥1,500
Amazon.co.jp