五木寛之氏『下山の思想』 | ドット模様のくつ底

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五木寛之氏の『下山の思想』を読みました。
昨年12月第一刷発行の書です。


目に太陽は見えなくとも 一隅を照らす尊さ①



五木寛之氏講演レポ①

五木寛之氏講演レポ②

五木寛之氏講演レポ③

今年2月に氏の講演レポをしました。

当然といえばそうですが、
そこでレポした内容や思想に通じるお話です。

いま、日本は下山の時代にさしかかっているという思想。

私たちは明治以来、近代化と成長を続けてきて、
それはたとえて言えば、山に登る登山状態でした。
だからこそ、先進国に学び、それを模倣して成長してきました。

しかし、今は日本だけに限らず、世界は登山ではなく、
下山の時代に入ったのだと氏はいいます。

そして、
私たちが学ぶべきは先進諸国ではなく、すでに下山した国々、
いま下山中の国々の現実ではないかと問いかけています。

ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガル、英国もすべて、
下山の先進国です。

そしてまさにいま、下山にさしかかった大国がアメリカです。

世界は確実に下山していく。
新興国といわれる国家にしてもしかり。

いまや、国境なき放射能の時代に、
一国だけの興亡はありえない。

そんな時代に生まれ合わせた私たちはそれを悔やんでも仕方がない。
そんな時代にも相応の人間の営みというのがあるのだから。

それをどう生きるのか―――。

このような序文からはじまる『下山の思想』

本文では
氏の過去を振り返りながらの人生観や
下山時代の生き方の提案が語られています。

上を目指していこうと登っていこうとする(した)ことは、
人生でもどんな国でもあっても経験する(した)ことであって、

登ったら下山が待っているのは当然であり、
その下るということもまた、世界にとっても人生にとっても
大事なプロセスなのですよね。

70代後半というご年齢だからこそ語ることができる
思想なのかと思いました。

現実とは、
過去、現在、未来をまるごと包括したものであり、
未来に想いを馳せてふるい起こすことと、
過去を振り返って深い情感に身をゆだねることと、

どちらも大して違いはないというのです。

本当にそうなのでしょうか。

ご興味がある方は読んでみて下さいね。

それでは今日も一日、
皆様が幸せでありますように。

(今年7月の再掲載です)
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