大峯山・山上ヶ岳の女人禁制は人権問題ではない | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

今日は知る人ぞ知るコアな問題を取り上げますので、

読みづらいかもしれないことを

あらかじめお伝えしておきます。


修験道の方のご著書を読ませて頂き、

このような考え方も知っておきたいと思い、

ごく一部ですが、本の内容をまとめさせていただきました。

山岳信仰の霊場とされてきた山の

多くは役行者が開祖であると伝えられています。


それらの霊場のうち

現在では唯一、

大峯山・山上ヶ岳だけが女人禁制の山となっています。


大峯山とは本来、

吉野から熊野に到る連山の総称ですが、


現在一般に大峯山と呼ばれる山は、

金峯山山上ヶ岳のみのことを指しています。


ここでは大峯山・山上ヶ岳と称しておきます。



山の女人禁制解放をもとめる団体があります。


私たちは大峰山の女人禁制の解放をもとめます。



個人の思想に関して

私は否定することではないと考えますので、

中立でいたいと思っています。



(ここから本の抜粋です)


修験道は女人禁制ではありません。


女性の修験者もおられますが、

大峯山・山上ヶ岳には入山ができないですし、

女性であるすべての人がこの山への入山が禁止されています。


明治初頭に、

女人禁制の解除を指導する維新政府の太政官布達により、

日本の多くの霊山、寺院は禁制を解いていきました。


その中で唯一、

大峯山のみが禁制堅守を続けることになりました。



「女人禁制」は、757年施行の『養老律令』に規定する

「養老僧尼令」がはじめての公的な規程となります。


当初は「僧」と「尼」、


「男子禁制」と「女人禁制」が


セットの形で定められていたものでした。


こちらは男女が謝って性交渉を行うことを防ぐという、


「不淫戒」(ふいんかい)を根本思想としていました。


当時、僧尼の数が増え、


各寺院の自主規定では思うに任せない事態になってしまったため、

公的な機関が取り締まるようになっていったといいます。


古来より男女ともに「戒律」を遵守するための用語であったのが

「禁制」であり、


「女人禁制」という用語は

熟語として定着をしていなかったそうです。


何故その後「女人禁制」だけが残ってきたのかの

主な原因の一つとしては、


平安時代の初期以後、女性の出家制限がなされたことがあり、


また尼寺の衰退により「男子禁制」が

あまり意味を持たなくなっていったことがあげられるといいます。



明治初頭に寺院や霊山が女人禁制を解放する中で、


何故、大峯山だけが女人禁制を守ることになったのでしょうか。


それは1300年続いてきた修験道の伝統の象徴であり、

大峯山伏のアイデンティティともいえるからだと言います。


大峯山の尊厳性が禁制をよりどころに

保たれているということも否定できないことです。


非日常性が修行場や聖地には欠かせないものです。


この場が聖地、修行の場として守られるために、


山を解禁することで起こり得る

登山やハイキングなどの流行を取り入れることは、


その尊厳性をこわしていく恐れがあることから、

守られるべきであるという見解がなされているんですね。


今後、もし一度解禁になった場合、

もう二度と「禁制」には戻れなくなります。


このことは、あくまで信仰上の問題ではありますけれども、

女性の人権問題ではないと思っています。


(金峯山寺 田中利典執行長)


上記リンク先の団体の方とは

幾度となく話し合いの場が設けられてはいますが、


現状としては今もなお、

女人禁制が守られています。


ここまで読んで頂きましてありがとうござました。