第63回「正倉院展」 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

いよいよ明日から
正倉院展がはじまります。

1年のうちに奈良がもっとも賑やかになる
時期なんです。

私もお友だちと行く予定です♪

以下は過去記事ですが、
再掲載させて頂きます。


月刊大和路「ならら」

特集:第63回正倉院展

2011年10月号(157号)



私は今回の特集を一気に読ませて頂きました!


この雑誌はですね。

全国の奈良ファンが愛読している文化情報誌です。

神社仏閣や研究者からの評価が高く、

奈良に縁のある文化人の連載や執筆が寄せられている

専門的な内容も多く含まれているものであるため、

毎号読み応えのある一冊となっています。


第63回「正倉院展」のテーマが「香り」ということで、


今回の目玉は

「黄熟香」(おうじゅくこう、蘭奢待〈らんじゃたい〉) です。


長さ156㎝、重さ11.5㎏

14年ぶりの出陳だそうです。かつて中倉の宝物でした。


「全浅香」(ぜんせんこう)とともに「両種の御香」と言われていたそうです。

また「天下の名香」とも言われるほど、
足利家、織田信長など時の権力者に拝領されていたものであり、切り傷が38ヶ所あります。

今回出陳ではないですが

もう一つの名香「全浅香」は少しの傷しかない。


何故か。


大仏様に献納された聖武天皇の遺愛の品が納められた

北倉にあったからではないかということです。


権力者も北倉の宝物には

あまり手をつけなかったようですね。


正倉院展は大変混雑します。

混雑状態でゆっくり拝見することは

なかなか大変な業です・・


展示場へ行く前に下調べしていかないと、

何を見にいったのかわからないまま

会場を出ていくことになりかねません。

というわけで私の場合、

「今回は何と何は必ず見るぞ!」

と決めて行くことにしています。



今回の展覧会では

北倉7件、中倉26件、南倉26件、

聖語蔵(経蔵)3件の計62件です。


そのうち初出陳は17品ということで、

いつもより多めだそうです。


個人的に楽しみなのは、


東大寺山界四至図(とうだいじさんがいししず)


麻布3副を縦に継いだ高さ3mの強大な絵図です。


天平勝宝八歳(756)6月9日という日付入り。

大僧都良弁(だいそうずろうべん)他4名の署名もあります。


北に佐保川、南に新薬師寺周辺、西には左京七坊大路(興福寺境)、

東には春日山一帯が描かれ、当時の様子がわかる重要な資料です。



追記
東大寺ミュージアムに原寸のレプリカがありました。

金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうのからたち)


「国家珍宝帳」には百口の大刀が記されているのですが、


この筆頭に記されていた宝剣は正倉院に献納後すぐに、

光明皇后によって何故か

大仏殿の足元に埋納しなおされたんですね。


この国宝の宝剣は明治時代に大仏殿の足元より出土しました。


去年話題になったのですが、

元興寺文化財研究所で調査の結果、


この宝剣が正倉院「国家珍宝帳」の筆頭に記された、

「金銀荘大刀 陰宝剣 陽宝剣」であることが判明しました。

ですからこれは正倉院の宝物の中に納められてきていないものです。


また、天平宝字8年(864)の恵美押勝の乱では、

多くの大刀が出蔵されて戻りませんでした。



そのような状態のなかでこちらの大刀は、

聖武天皇の刀剣として正倉院に残る数少ない1口ということなんですね。

もちろん北倉です。


59年ぶりに出陳の

*伎楽面 酔胡王 (ぎがくめん すいこおう)

(南倉)も、


*碧地金銀絵箱(へきじきんぎんえのはこ)

(中倉)

という献物箱も注目したいと思います。



単純にですが、


北倉=聖武天皇の遺愛の宝物

中倉=造東大寺司関係の文書や仏具

南倉=大仏供養会に用いたものや、東大寺羂索院から移したもの


と、個人的には倉を見てから解説を読むとわかりやすいです。

現在では北、中、南の校倉の宝庫には収蔵されておらず、

昭和27年建造の東宝庫と昭和38年建造の西宝庫に

宝物は納められています。


それまではそのまま校倉造りの倉に

納められていたというから驚きですね!


森鴎外が大正6年に帝室博物館(現・国立博物館)総長に就任し、

以後大正7年から10年までの4年間、
正倉院開扉のため奈良に出張に来て、

宝物の虫干しをしていたそうです


今、こうして宝物が残されたのは先人たちの知恵や努力が

ずっと受け継がれてきたからだと思うと感慨深いものがあります。


10月29日からいよいよですね。

楽しみです♪