聖徳太子十七条憲法 第十五条と第十六条 | ドット模様のくつ底

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福祉的な目線から心の問題を考えています。

十七条憲法を転載したいと思います。


ご紹介させて頂くものは、


和宗総本山四天王寺第105世管長


瀧籐尊教猊下の訳されたものです。



「僧力結集」では十七条憲法の第一条と第二条を


法隆寺の古谷正覚執事長のインタビューページにて


掲載させて頂いたのですが、


そのときお世話になった本からの転載になります。



(原文)

十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。


(読み下し文)

十五曰く、私を背(そむ)きて公(おおやけ)に向(ゆ)くは、これ臣の道なり。およそ人、私あるときはかならず恨みあり。憾(うら)みあるときはかならず同(ととのお)らず。同らざるときは私をもって公を妨ぐ。憾み起こるときは制に違い、法を害(やぶ)る。ゆえに初めの章に云う、上下和諧せよ、と。それまたこの情(こころ)か。


(現代語訳)

私の利益に背いて公のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。およそ人に私の心があるならば、かならず他人のほうに怨恨の気持が起こる。怨恨の気持があると、かならず心を同じゅうして行動することができない。心を同じゅうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を害(そこな)うことになる。だからはじめの第一章にも「上下ともに和(やわら)いで協力せよ」といっておいたのであるが、これもこの趣意を述べたのである。


(原文)

十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。


(読み下し文)

十六曰く、民を使うに時をもってするは、古の良き典(のり)なり。ゆえに、冬の月に間(いとま)あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。桑(くわ)らずば何をか服(き)ん。


(現代語訳)

人民を使役するには時期を選べというのは、古来の良いしきたりである。ゆえに冬の月には閑暇があるから、人民を公務に使ってはならない。農耕しなければ食することができないし、養蚕しなければ衣服を着ることができないではないか。