聖徳太子 十七条憲法 第一条と第二条 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

聖徳太子 十七条憲法は、



現代にも通じる素晴らしい教えだと思っています。



ご紹介させて頂くものは、


和宗総本山四天王寺第105世管長


瀧籐尊教猊下の訳されたものです。



「僧力結集」では十七条憲法の第一条と第二条を


法隆寺の古谷正覚執事長のインタビューページにて


掲載させて頂いたのですが、


そのときお世話になった本からの転載になります。


(再掲載です)



十七条憲法

第一条、第二条




推古天皇十二年。




(原文)


一曰 以和為貴 無忤為宗 人皆有黨 亦少達者 是以或不順君父

乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成 




(読み下し文)


一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さか)らうことなきを宗とせよ。

人みな党あり。また達れる者少なし。ここをもって、あるいは君父に順わず。

しかれども、上和(やわら)ぎ、下睦(しもむつ)びて、

事を、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、

事理おのずから通ず。何事か成らざらん。




(現代語訳)


おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。

それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。

だから、主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。

しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、

何ごとも成しとげられないことはない。




(原文)


二曰 篤敬三寳 三寳者仏法僧也 則四生之終帰 萬国之極宗 何世何人非貴是法

人鮮尤悪 能教従之 其不帰三寳 何以直枉




(読み下し文)


二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり。

すなわち四生の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。

いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。

人、はなはだ悪しきもの少なし。よく教うるをもて従う。

それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直さん。




(現代語訳)


まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいのことである。

それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国ぐにが仰ぎ尊ぶ究極の規範である。

いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないということがあろうか。

人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。

それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何によって正しくすることができようか。






*中央クラシックス 聖徳太子 法華義疏(抄) 十七条憲法 瀧籐尊教訳より