スポーツと体罰・・今、世間で色々議論されていますね。


難しい問題ですが、今日はこのことに関して少し書いてみます。



私は今年59歳になる年齢です。


私の高校時代・・今から40年以上も前になりますね。


私の出身高校は、岡山県の倉敷工業高校です。


今でこそ、甲子園出場も少なくなりましたが・・それでも、


春夏合わせて19回甲子園に出ている学校です。


今から40年程前の倉工野球部は強かった!


岡山では1、2を争う野球の強豪校でした。


全国的に見ても、野球の名門校だったと思います。


私も高校3年春に甲子園に出ました。


そんな野球強豪校で3年間を過ごした私ですが、


3年間で体罰を受けた経験は一度もありませんでした。


監督、コーチ・・あるいは、先輩から殴られたことは


一度もなかったですね。


では何故、殴られなかったのか?


答は簡単です!


小沢馨監督さんからの命令だったからです。


当時の私たちは、小沢監督から次のようなことを何度も何度も


言われて育ちました。


「倉工野球部は甲子園に何回も出ている。


ベスト8やベスト4も何回もある。


でも、全国制覇の経験が一度も無い・・


この全国制覇こそが、倉工野球部の悲願である。


全国制覇するためには、甲子園に出なければならない。


甲子園は強いだけでは出られないところだ。


暴力問題などがあった学校は、甲子園に出ることができない。


だから、甲子園に出るためには、全国制覇を達成するには・・


決して、人を殴るな!


例え、相手に殴られても手を出すな


こういうことを、何度も何度も言われて3年間を過ごしました。



倉工野球部の黄金時代と言えば、


1967年~1968年、4季連続甲子園出場しました。


中でも、


1968年春の甲子園大会ベスト4。


1968年夏の甲子園大会ベスト4。


この春夏甲子園連続4強というのが、一番輝いていた時です。


そして、4季連続甲子園出場が始まった1967年春の


甲子園出場というのは・・


本来は津山商業高校の出場が決まっていました。


しかし、津山商業が不祥事で出場を辞退・・


その代役として指名されたのが倉工野球部でした。


そこから倉工野球部の黄金時代が始まった訳です。


私が入学したのは、この後ですね。


そして、小沢監督から先に書いたような命令を何度も何度も


聞かされた訳です。


19回の甲子園出場は、それはそれで輝かしい実績ですが、


それよりも声を大にして言いたいのは・・


一度も出場辞退が無いということです。


アマチュア野球というのは、強いだけでは勝てないんです。


勝つ前に、大会に出場しなければダメなんです。


その大会に出場するためには・・


「決して、人を殴るな!」


「相手に殴られても手を出すな!」

もう40年以上も前の話ですが・・


私たちの3年間は、こういうことを教えられてきました。


これが、小沢野球であり、倉工野球なんです。


時代が変わっても・・


先輩として、この伝統だけは守ってもらいたい!


私はそう思っています。



今、世間で騒がれている体罰に関して考えていたら・・


またまた古い思い出話となってしまいましたね(笑)



MAKOTOチャン(塾長さんの原点は、小沢野球だよネ!)

誠クン(もちろんだよ!)

MAKOTOチャン(ということは・・誠塾の野球の原点も、

          小沢野球!倉工野球!ということで~す!)
塾長のひとり言ブログ
誠クン&MAKOTOチャン(強いだけでは甲子園に出れないんだネ。

               野球だけ上手くなってもダメ!

               そういうことだと思う。

               じゃあ、またネ!)
塾長のひとり言ブログ