~薬、人を殺さず 薬師、人を殺す~

意訳; ものは使いよう。
使う人次第では、それが毒にも薬にもなるということ。
薬を飲んで死ぬことがあっても、薬に罪はなく、
問われるのは薬を調合したり
服用させたりした医師の責任であるとして言う。

 

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自分語りになってしまいますが、私は子供の頃は病弱で怪我もたくさんしたから、一年の1/3位は病院通いしてましたかね。そのお陰で待合室でたくさんの漫画本を読みました。

 

おでき体質というか炎症体質というか、あちこち皮膚が膿んで爛れてて、まあ色々と。プールの塩素にやられたり、走ると嘔吐してしまったり、ボールペンの筆圧で腱鞘炎になっちゃったりetc...生命力が弱かったと言えばそうだと思うけど(生まれつき単腎)、主に生育環境におけるストレスから来ていたような…

 

まあ、当時の私の体調不良の原因は、現代医学の範疇では解決できない霊媒故の問題も含んでいて、もしも沖縄に住んでいたならば、あなたはユタだし、これはダーリィだからの一言で片づけられ、納得されて済まされるようなことだったかも知れません。

 

毎度原因不明とかで、あちこち検査されては血を抜かれ、レントゲンだの超音波だの、いじくりまわされた経験から、そういう意味で病院に行くのが苦手になっちゃって今では極力避けてますw

 

でも医学不信ということはなく、必要だと思える時以外は行かないってだけのこと。なるべく民間療法とか、家庭の医学で乗り越える方針てだけ。

 

(とはいうものの、加齢による衰えは避けられず、気を付けるだけではどうにもならないことも多々。網膜剥離と白内障の同時手術しましたし、今も通院中です。歯医者もね、定期的に通わないとです。すでに入れ歯だからww)

 

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派遣の仕事でほんの数年間だけでしたけれども、内外製薬メーカーで仕事をする機会もあったので、(臨床開発での治験事務や市販後調査とかDMとか)化学合成された薬全般を否定するということもないのです。

 

(ただ、私自身は薬を飲むのは好きじゃない(笑) これは過去生絡みのトラウマからくるものだから、克服できるまではしょうがないですかね。うん、薬と騙され毒盛られて死んだトラウマあるからねっっww)
 

そんな経緯もあり、難病を治療するための薬剤の開発を努力している企業、施設、頑張っている治験医師の先生方がいるのも、知っていますもん。

 

安定供給される薬や現代医学のお陰で、守られる健康や助かる命がはるかに多いことは周知の通り。もちろん弊害(副作用)もあるし、負の遺産的矛盾や人道的問題点もたくさん抱え込んでいる部分もあるけれども。その辺は課題で。

 

確かに今日の医療現場において、赤ひげ先生みたいな人にはなかなか出会えないし、少数派の難病患者の命を救う薬を創るより、莫大な利益を産んでくれる薬剤は何かを考えるのに、忙しい企業の方が多かったする現実もある。

 

いつだって正しいこと、世のため人のためになることをしようと頑張っている研究者や医師はなかなか日の目を見ない。変わり者のレッテルを貼られ、資金難にあえいでいたり等…

 

あ゛ー話がそれてしまうので・・・ひとまず、そんな話はさておいて。

 

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さてさて…そんなこんなで私自身、健康に関する問題を抱えていて、そのことにずっと向き合ってもきたし、二度の交通事故の後遺症に悩まされた時期もあって、西洋医学では解決できない痛みや不調の問題を東洋医学や民間療法などに助けてもらってきたわけです。

 

現代医学(西洋医学)は万能ではないし、それだけで解決できないこともたくさんあるから。

 

アロマテラピーやハーブ療法に興味を持って勉強もしたし、ちょこっとお障り程度で指圧とか整体とか、ホリスティック医学とかもこれまた学んだりしました(習い事程度)。

 

今は氣の概念を利用したハンドヒーリングもするし、そうした方面からのメンタル及びヘルスケアのサポートやアプローチもしているのだけれども…だからといって、現代医学を否定して、対立しようなどとは思わないのです。

 

現代医学の技術は素晴らしいし、進歩も目覚ましいものです。

それは信頼に値するもの。

 

おそらく、自分の体質のことをよく理解出来ていて、日々メンテナンスとケアを怠らず、運動もして、相性良く、信頼できるかかりつけの医師さえいれば、起こりうる最悪の事態は防ぐことが出来るように思います。

 

日々の予防とヘルスケアは民間療法を利用して、その上で現代医学の診断と技術からの、チェックも欠かさないようにするならば。

 

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で・・・・


なんでこんなこと言いだしたかと言うと、どうもスピリチュアル信者みたいな人の中には、現代医学や化学的な薬剤を否定する人もたまにいたりするから。薬は毒だって、そんな風に言う人もいたりして。なんて言いますか、それはちょっと極端だと思いましたのよ。

 

薬を薬として用いるか、毒となるような用い方をするか、それは人間次第だと思いますから。

 

まー 処方された薬を最後まで飲み切らず、病院に行くことを避けまくっている私が言うには、説得力が全くありませんが・・・ww

 

確かに病は氣から、で・・・心の問題が反映されたり、その人の生き方の問題(肉体や心の使い方を間違えている)が、病気へと導いている誘因で根本原因ではあるけれど・・・そこを見ていくことも勿論大事で、忘れてはいけないとこだし、スピリチュアルな視点はその部分の核心をついて、そこを解決するのに役立つし、そのためのツールではあるけれども、だからといって、それだけで病気を治そうとするものじゃないです。

 

患者さんが病気を呼び込んでしまった自分自身の問題、自分を病気にしてしまった考え方の誤りを正すだけに留めるだけで、現代医学における所見や治療法から、決して引き離すものであってはならないのだと思います。

 

複数存在する医師や施設の中から相性の良いところ、よりよい適切な医療を受けられる方法を選択するために、その力を用いて助言を行ったりはしたとしても・・・

 

フィジカル(メディカル)リーディングなどは本来そのように行われるべきで、立ち位置を弁えるべきもの。理想としてはあらゆる民間療法も現代医学も、スピリチュアルな見立ても、対立しあうことなく、否定しあうことなく、連携しあい、それぞれの良い面、長所短所を補いあって、クライアントの問題解決に相互協力し合えれば最高だけれども、まだまだその時代ではないというのがありますがね。

 

それを模索している人も出始めてはいるけれど・・・なかなか。
時代はまだ追いついていないかな。

 

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いつだったか、自らの状態、体調不良を、浄化だ、アセンションだの言う人がいたのだけれども、でも、私から見たとき「これは統合失調症では?」と。

 

さほど重篤ではなく、しごく軽度の段階で、何らかのホルモン分必異常というか、脳内物質の問題という気がしたので、適切な薬物療法を行ったなら、すぐに改善するのでは? とも思ったのだけども・・・

 

何しろ私は医師ではないのだから、病気を断定して診断することは出来ないわけで、あくまで、もしかして・・・という仮定の話をしたり、この辺りが気になるし、こうしたらよいのでは?と、遠回しに通院を勧めても、当人がその気にならないでは仕方がないのですよね。

 

(その昔、とにかく今すぐ病院に行け!! とうちに来るなり、伝えることになった方がいたのですが、ちゃんと助言を聞いて下さって、病院で検査してもらったならば、血液総入れ替え?になったということもありましたね。なんでも、うちに来る前にチベットだかネパールだかに長期滞在しての帰国後だったらしく、食生活が原因だったらしいですが。単なる杞憂や読み間違いであったとしても、何もない結果なら安心なわけですし)

 

霊的な問題、スピリチュアルな現象こそが原因と、そう信じ込んでいる人に現代医学の門を叩かせるのは難しかったりします。なんでまた、そっちのせいにしたがるのかなーと、私的には不思議なんですが。

 

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また、これは別の例として昔の知り合いの話になりますが、エコなスローライフを理想としている人がいて、有機農法やマクロビを実践しているのはいいとして、現代医学に懐疑的で否定的なスタンスなものだから、ペットが病気になったとき、ホメオパシーに頼ったのですね。


毎日のケアや診断結果としての治療に添う補助的なものなら、私は別にそれをしてもいいとは思うのですけども、最初から獣医に連れて行かないってのはどうかと思いましたのよ。

 

結果、助からなかった。

 

別にホメオパシーが悪いってんでもない。

助からないときは何をしても助からないというのはある。ただ、助かる命をみすみす見捨てるような、そういうことをしなくてもいいのではないかと思ったりもする。無理な延命処置や過剰医療も是非のあるところだけど。

 

結局は、病を治すのとは当人なのだと実感します。

(ペットの場合は飼い主のエゴ次第ですが)

 

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病になったのもその人なら、治す方法を選択すること、治りたいか治りたくないかを決めるのもその人自身で、医者に掛からず、薬剤や検査や治療を拒否して、科学的根拠のない商品や健康食品に頼ったり、民間療法に救いを求めたり、霊的な助言に従うのも従がわないのも、すべてその人の選択。

 

自分の肉体が何を必要としているのか、病になった自分の身体に何を与えようとするのか、今の自分の状態では、どんな治療法がベストなのか…

病気へと導いたのも自分なら、病気を追い出すのも自分次第。

 

その時その段階に応じて、適切なケア、医療があるわけで、心の悩みを解決し、生活を変えるだけで、改善される症状や治る病もあるけれど、精神的な問題や生き方をいかに変えようとも、それだけでは如何とし難く、すでに手遅れというものもある。

 

カルマのレッスンがどうとかこうとか、それはもう別の問題で。(その辺りを考えるのとは別に考えるべきというか) 科学という知恵、その恩恵に預かるのが一番て時もあるのだから、なんでもかんでも、スピリチュアルな手法や民間療法や健康食品など、自らの頑固たるポリシーにしがみついて、病を治そうとするものではないと思う。

 

もちろん、健康食品とか安全な食品は身体にはイイモノだし、民間療法も運動も体質改善や基礎的な健康を養うのに役に立つ。スピリチュアルなツールも、健康的な立ち位置で用いれば、メンタルヘルスや問題解決のための人生のクスリになるだろう。

 

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けれども、適切かつ迅速な医療や科学薬剤によってのみ、対処できず救済できない問題も人間の肉体はたくさん抱えている。それのみに依存しすぎると見誤るものもあるが、スピリチュアリストはこの文明の利器をもう少し信頼するべきと思う。(どんな分野、世界にも言えることだが、信頼できる専門家が少ないのが問題なだけで)

 

それがどんな健康法でも、技術でも、知識でも、使う側の方に問題があるわけで、すべては使い方次第なんである。

 

どれがいいとか悪いとかではなく、時と場合、状況に応じて上手に使い分けて、あるいは組み合わせて、どれとも上手く付き合っていければ一番良いのであろう。

一つの方法だけが全て万能ではないわけなので。

 

 

note「The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から」

過去記事より転載