幼稚園の頃、図書館で読んでものすごく怖かった本があった。


谷川俊太郎作、安野光雅あけるなだった。
しかも、毎度このコーナーでおなじみF音館


本はかなり大きめで、表紙はレンガがびっしりで、大きな扉に「あけるな」と書かれた板が打ち付けてある。

以前記事にした三郷市の某心霊スポットのグーグルマップストリートビューを見た際に真っ先にこの表紙を思い出した。


普通はこの時点でドン引きだけど、主人公はページをめくるたびにどんどん打ち付けてある板をはずしていく。

板には外す度に「あけるなといってるのに」と警告文が書かれている。

「とびらってのはねえ、あけるためにあるんだよ」

と開き直る主人公。
不法侵入は立派な犯罪なのに。


やっと開いた扉。
その先にはどんどん新しい扉があるのだけど、行く先行く先かなりシュールだ。

暗い森に、樹の「扉」の中の真っ暗闇。





「あ」
(記憶を頼りに模写)


・・・・「あ」って(笑)
このページがものすごく怖かった



真っ白な世界、というより「レオナール・フジタ」の乳白色みたいな色。
背中に穴(扉)のあいたおっさんが座っていたり、ビー玉が1個ころがっているだけの空間だったり。


「(ビー玉に)はいってみよう」


と、この時点でもう大きさだのとそういった次元の話は超越している事がわかる。


最終的に、しましま模様が数ページ続く


「きれいなゆうやけだなあ」


って、全然夕焼けに見えない
前ページのビー玉の件から読者は既に置き去りにされたのだ。

しましま模様の色が薄くなったらビスクドール


あら、おかえんなさい。どこいってたの?もうばんごはんよ。


と。


それは額縁に描かれた絵だったというオチ。
つまり、主人公は絵の中に入ってしまったという事。


じゃあ、その世界に通じるおっさんやビー玉はなんだったんだ?と子供心に本当に理解できず(今も理解できないけど)、強烈なトラウマを残している。
作者の谷川氏は実は過去にLSD服用の逮捕歴があり、もしかしてその体験なのかな?と邪推してしまう。


幼稚園時代に手作りの絵本を作る授業(?)で、私はこの話をパクった。
しかし、何故か私は扉のかわりに割れ目を描き、さらにピンクに塗ってしまった為に、先生が固まった事をとてもはっきりと記憶している。


禁断の扉を進むと最後におかあさん(?)がラスボス的な存在でいる。
ある意味、寺山修司的な胎内回帰とか、性的なもののメタファーかもしれない。
私はすでに5歳でそれに気づいていたのだろうか?