
今晩は!
今日は私の母校のお話をここに書きとめておきたいと思います。
昨日の土曜日、最後の卒業式が行われ75年の長き歴史に幕を下ろしました。
実は無くなると言う事は結構昔から話は出ていました。
さかのぼる事22年前・・・私もここで機械の知識を学び社会に出て行きました。
先日、娘の学校のプリントに我母校が終焉を迎えるという事が書いてありました。
その記事を見て最後の姿がどうしても見ておきたくて本日家族を連れて行ってみました。
懐かしい母校・・・
着くと見知らぬ男性が一人校門で立ち止まっていました。
私は車を降りその人に声を掛けました。
「職員の方ですか?」
するとその方は「いいえ、私はこの高校でお世話になった知人に最後の姿を写真に収めて欲しいと言われて来たんです。」と。
聞くところ、その方は私よりず~と先輩の方で、新聞で廃校になる事を知り胸を痛めたそうです。
その思いは今私がここに居る気持ちと同じなんでしょう。
その当時とまったく変わらない校舎。
きっとこの方の写真を見て懐かしく、そして寂しく思う事でしょう。
私も卒業生として辛いです。
工業日本を支えてきた陰にはこうした技術を教える学校が有ったのは言うまでも無い。
実際、大卒に比べ、工業高校卒業者の方が重宝されていた。
それは、即戦力として活躍できつからである。
それと、諸先輩方の活躍のお陰で鶴工の信用は厚く、大卒で採らない会社も鶴工生は数人受け入れると言う会社もありました。(某自動車メーカー)
こうした高校が無くなるのは日本にとってもマイナスだと思うのです。
実際、周辺の企業から反対論も出たと言う。
鶴工卒業と言う先輩、後輩は数多く、今の仕事の中でも良く会う。
現場監督や、不動産屋の社長、ホームメーカーの後輩、工務店の息子・・・
さまざまな所で活躍しています。
私が卒業する時に恩師から頂いたお言葉。
「社会の歯車になれ!小さな歯車でも無くては困るような一人になって社会に貢献して欲しい」
「胸を張って私は鶴工卒業ですと言いなさい」
その言葉通りに生きているかと言えば生きているのかな~
これだけは言えます。
私は鶴工卒業生ですと胸を張って言えます。
今度の日曜日3/12に愛高式(閉校式)が行われると言う。
最後に今日撮って来た写真を最後に載せて起きます。
偶然見つけた先輩、後輩に見ていただければ幸いです。

正面玄関↑

体育館↑

食堂↑

中庭↑

中庭の噴水↑

学校事務所↑
この窓口に願書を出しに行ったな~

ここは部室↑
子供達にはトイレに見えた様です(笑)

在学中は写真部に所属しておりました。↑

今はシャッター街になってしまいましたが、ここにはサンドイッチを売っていた「サンドーレ」と言う美味しいサンドイッチ屋さんが有ったんです。↑

こちらは機械科と土木科が有る棟です。
私は機械科卒なのでこちらです。

グランドから見た機械科の校舎↑

土木科が入っている校舎と図書館、視聴覚室↑

機械科の実習室↑
授業の跡が黒板に・・・

野球部は結構強かったんですよ~↑
昭和29年には甲子園に出場しています。

動画を載せておきます。
グラウンドから360度撮ってみました。

すぐ隣が鶴見線の「鶴見小野」と言う駅です。

駅舎は当時のまんま。↑
スイカができたくらいですかね~

この付近に美味しい和菓子屋さんが有ったんです。
「伊勢屋」さんと言いましてね、団子やおにぎりを売っていました。
中でも大福が美味しかったんですよ~

我校はど真ん中に一般道が走っているちょっと珍しい高校でした。
左側にグランドと体育館が有り、右側に職員室、食堂がありました。
私は左側だったので、たまに食堂に行く時はこの道を渡って行っていました。


校歌がありました↑
今でも歌えますよ(笑)

こちらは正面玄関。↑
生憎、開いていなかったので入れませんでした。
この右の賞状に私の名前もあるんですよ。
写真部のコンテストで取った賞状が22年も飾ってあったんですね。

この文字は最後の生徒が窓に記したものです。
さよなら我母校(泣)
そしてありがとう!