【メモ】映画「クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」観てきました。
Watched Japanese animation film “Crayon Shin-chan: Shrouded in Mystery! The Flowers of Tenkazu Academy”
※本作とても示唆に富んだ内容で、けっこう僕の価値観をゆさぶられて鑑賞後いろいろ考えちゃった。結論もでず、今回の記事は整理できてなくてメモです。なので点数は93点でオススメ。以降は別に読まなくてよし。
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僕はクレヨンしんちゃんはTVシリーズは観ないですが、
映画版を劇場で観るのは本作で3本目です。
3年前の「爆盛カンフーボーイズ」は僕にはハマらずでした。そのせいで一昨年は飛ばして、昨年の「ラクガキングダム」は泣いた思い出があります。
主要キャラを使って、いろいろ自由な物語を作っているシリーズのようで、ムラがあるのかな。
本作はとても評判がいいようです。
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おはなしは、、
エリート教育を実践する私立の小中高一貫校、「天下統一春日部学園」に体験入学することになった、いつものしんちゃんたち春日部防衛隊の5人組。
その学園は勉強、スポーツ、芸術、あらゆる分野で、生徒の才能を伸ばし、AIによるポイント付与性で生徒たちのエリート度合いを管理しています。
そんな中、学園の敷地内の古い時計台で怪奇事件が発生。吸血鬼にかまれたエリート生徒が、馬鹿になってしまうというものでした。
しんちゃんたちは「探偵倶楽部」を結成し、怪奇事件の謎にいどみます。
という推理ジュブナイルものです。
夏休み映画にぴったり。赤川次郎や宗田理の少年少女向け小説を思い出しましたよ。(世代)
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大、ケツ、作!!
(↑↑ベタではずかしいけど、ここで恥ずかしがって、これを言わなきゃ自分に嘘をつくことになるッ!笑)
93点!!
ラストの展開に涙に止まらない。
周りからもすすり泣きが聴こえて、けっこう大人が泣いてたようです。
子どもはわかってくれたのかな。
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本作はエリート養成校を舞台にしていることから、
エリート=生産的であること、効率的であること、高収入、優等生、打算といったふるまい、
おばか=くだらない、無駄、大衆、落ちこぼれ、無邪気といったふるまい、
と、
上記のようにキーワードとイメージを結びつけてるようです。
本作ではこの2つを対立させてるのですが、「エリート」が敵に当たり、「おばか」が主人公側のしんちゃんたちで、子供の無邪気さをあらわしています。
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経済優先で役に立たないことや非効率性を否定する考えは、まだまだある気がします。
それもよくわかります。非効率てきに働くのは意味ないし僕もいやです。
スマートに働きたいし、それでいてお金をたくさん稼ぎたい。
でもそれは未来への恐れから来てるのかなという気もします。
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僕はわりとこのエリートとおばかのどっちについたらいいんだろう、、と長年悩んでる気がします。どっちって決めなくていいんだけど。
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マシュマロテストってあるじゃあないですか、
子供にマシュマロを一定時間我慢したらマシュマロを倍にする、って言って試験官が部屋を出ると、子どもがマシュマロを食べるかどうかって実験。
マシュマロを我慢して、後に倍のマシュマロを手にした子どもは大人になってからの年収も高かったっていう社会的実験です。
あれ、エリートかおばかかの話そのものだと思うんだけど、、それを思い出しました。
マシュマロテストは嘘って話もあるけど。
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本作が提示するエリートになるか、自由なおばかでいるかは、
僕の結論はまだ出てなくて、エリート7割おばか3割が良いかなって気がしてます。
きちんと社会に合わせてお金をかせいで、残りの3割で嗜好を楽しむ。ちがうかな。
どっちかに思い切り振り切るのって若いうちでないと出来ない気もしてます。
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映画の話に戻すと、
本作では敵側である従来的なの考え方の「エリートを目指す」を否定しないところが良かったです。
もちろん主役側を「おばか」にしていて、無駄こそがすばらしいというとても、哲学的で文化的でリベラルなメッセージだと思うのですが、
経済力がなければ現代の日本では心から何も楽しめないのではないか。
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また少し話は逸れるけど、自分の描く理想の「何者」かならなければいけないという焦燥感、
成功したい向上心、今のままの自分では足りないという焦り、それもよくわかります。
また、そのレースに参加しないで、自分の楽しみを追求する人がいるのもわかります。
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僕はどちらかというと優等生てきエリートてきな人たちが好きです。自分もそっちにいたいという憧れもあります。
でもそのくせエリートてきな生き方をしてきた人たちのことを、退屈な堅物、どうせ文化てきなことがわからないつまらない人たちとステレオタイプ化して見てしまう傾向もあります。
一方、努力をきらいその場の快楽を優先させる「今」だけを生きている人たちに対しては、人間味があって面白い人たちだから友人として交流したいとも思ってて、、これもステレオタイプ化ですね。。
ほんとうは人間は誰も多面的だし、黒か白ではなくスペクトラムなのだけど。
どちらか一方で勝手にステレオタイプにしてしまうのは、なにかを把握するときにやっぱり楽なんだろうなって思います。
両方に魅力を感じ両方を嫌ってて、自分でもよくわかりません。自分に足りない何かを両方に感じてるのだろうなと思います。これが人との比較なのかな。
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本作ではサブテーマとして、どんな自分でも自分で自分を好きになるというメッセージも描かれていて、それは素晴らしく、落涙必須でした。
メモ終わりです。