2011年11月12日(土)いわき芸術文化交流施設アリオス 中劇場
13:30~「感謝の集い! ~ボランティアのみなさん来てくれてありがとう~」
が開催されました。
10月末日、依頼件数の減少ということもあり、ボラセンが縮小され(ニーズがあれば活動していますが)
節目として、今回「感謝の集い」が開催されました。
開催目的
3月16日から述べ5万人に及ぶボランティアの方々が被災家屋内外
の片付けや土砂除き、震災ゴミの分別・運搬、仮設住宅等への引っ
越し、避難場所等においての見守り活動など、被災者支援活動を行
ってきました。
ボランティアの方々の「チカラ」あったからこそ、本センターのガレキ
片付けをメインとする火災救護班の活動は収束へと向かうこととなり
ました。
ボランティアの方々が、被災者支援のために、汗と涙を流して活動を
してくれたことに「感謝」するとともに、これからのいわき市の復興の
「キッカケ」になれればと、感謝の集いを開催します。
今後も、被災された方からニーズ依頼があった場合は、これまで同様
に災害ボランティア活動を行いますので、引き続きご支援願います。
 
日新塾ボランティア隊からは、羽賀さんと淺井先生、そして』私の3名で出席。
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高速道路から見える山々は、綺麗な紅葉色となっている。
 
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いわき芸術文化交流施設アリオスいn到着。
 
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炊き出しの準備が進んでいる。
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会場前で記念写真!
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500名程度は来ているようで、会場内は大入り満員である。
 
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定刻となり13時30分「感謝の集い」が開催される。
 
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猪苗代湖ズの曲にそって活動写真の上映会。
 
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続いてパネルディスカッションで楽しい時間が流れる。
 
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終盤となり、スペシャルコンサート! 誰だ?このグループは???
 
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マル秘とされていた出演者は「ゴスペラーズ」であった。
メンバーもいわきや他でのボランティア活動を行っていたとのことです。
大忙しの彼らが少ない休日を利用しての活動には頭が下がる。
1時間にわたる心にこもるハーモニーに、皆は聞き入っていた。
 
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閉会となり外の広場では、炊き出しのサービスがある。
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、、、炊き出し、、、なんか最後までボラセンらしいおもてなしに、涙が出るほど嬉しくなった。
 
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放射線なんか気にしません。
芝に腰かけ美味しいトン汁を食す。
 
はじめての活動を行ったのは5月5日からである。
福島県内でおきている現状に、何か自分の力を活用できないかと思い、羽賀さんに連絡して最初のボランティア活動を行ったのを思い出す。
今までは、思いはするが行動に移すところまでは進まず、いつも口先だけで終わってしまってた私であった。
しかし今回は同じ県内に住む方々、特にいわきでは仕事でお世話になっていたということもあり、この地を選び、それから6ヶ月間、1ヶ月に3回合計18回の活動を行った。
 
震災後、はじめて訪れたいわき市永崎海岸の状況・・・
今でも鮮明に覚えている。
これが綺麗だったいわきの海か・・・ 街並みか・・・
例えるならば、頭を金属バットで殴られたほどの衝激を受けたような感じか・・・
 
最初の現場は海沿いの海砂出しであった。
海水が染み込んでいる砂のため、植物は枯れてしまい、生き物(ミミズなど)も発せしない酷い状況。
通常の生活に戻すために、敷地内に入り込んだ海砂を土のう袋に詰め込み、排出場所に出す。
約20名のボアんティアマンで、まだ寒い時期であったにもかかわらず、皆で大汗をかきながら、土のう袋が山積みになるほど排出した。
 
海砂が排出された敷地をみた依頼者は、目には涙を浮かべながら「やっと我が家が戻ったようである」と言いながら、何度も何度も「ありがとう!ありがとう!」と頭を下げられていた。
 
それまでは義援金などで支援を行っていたが、行くあても分からない活動よりも、直接現場で活動をして、依頼者の笑顔を見たい。そんな思いもありボランティアを継続する切っ掛けとなった。
依頼者の笑顔やkン社の言葉は私にとって最高尾ご褒美となった。
私の小さな力でも役に立つんだ!
 
活動を行う上で、すべてがうまくいっていたわけではない。
時には家庭を犠牲にして・・・
仕事でも迷惑を掛けることも多々あったり…
等など、、、
この辺は後日詳しく述べたい。
 
2011年11月12日をもっていわき市ボランティア活動を休止したいと思います。
もちろんニーズが増え、活動依頼があればいつでも飛んでいきますが・・・
 
今後は、風評被害で低迷する私が住む会津での復興活動をメインとし、
また、親戚が多く住む郡山市などでの活動を行っていきたいと思います。
 
まだまだ福島県は復旧中で、復興に向けてはこれからの地区が沢山あります。
力の続く限り、支援活動は続けていきます。
 
がんばれ!福島!
 
何苦楚魂