平和と調和 | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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寒い冬の季節も終わって、いよいよ今日から3月ですね。

依然として続いているロシアのウクライナ侵攻問題ですが、停戦交渉が功を奏して平和が訪れることを願うばかりです。

歴史を紐解くと、ウクライナとロシアの関係は、元々ノルマン人とドニエプル川流域に住んでいたスラブ人とが融合して生まれたキエフ公国に端を発するようです。

ノルマン人はゲルマン民族の一派です。

つまり、スラブ系民族とされるロシアも、実はスカンディナビア半島由来のノルマン人をも祖先に持つ欧州と共通する民族なのです。

この紛争を根本的に解決するには、ロシアとユーロが仲たがいしている現状を改善する道筋を付け、ロシアが民主国家の仲間入りできるようにすることが必要かも知れません。

ロシア国内でも国民は反戦の意思を示していると報道されています。

以前に、武力のみならず経済活動も含めて、その活動を競争から協創・協奏・協調による調和にシフトすべきだとお話しました。

つまり、経済活動も含めて、調和の道を探る必要があるように思われます。

 

 

しかし、調和を乱す存在に対しては、ウクライナのように愛と勇気を以って立ち向かわなければなりません。

調和は、あくまで平和の上に成り立つものであり、それを脅かすものに対しての自衛手段は必要です。

日本がいくら日米同盟で守られていると言っても、米国が大変な状況にある時は、日本を守る余裕などないかも知れません。

ウクライナの惨劇は遠い国の映画話ではなく、現実問題としてあるということを肝に銘じて、我が身を振り返り、自らに何ができるかを考えなければなりません。

昨今は、自然の驚異も含めて、自衛隊の存在が重要になりつつあるように思われます。

 

キリスト教以前の神も含めて、人間は本来いわゆる善も悪も持ち合わせた存在であり、地球上にもそれらが複雑に絡み合った世界が展開されています。

したがって、人生における出会いと活動においても、出会った相手やそれに組する活動も含めて、その本質を見極めなければなりません。

つまり、智慧を磨き、人の言うことや社会に氾濫する情報を鵜呑みにせず、客観的立場で執着や愛憎などの煩悩を取り除き、自らの経験や書物などから得た見識と、自分が遭遇した真の理由や目的などを考え合わせながら、本質を見極める姿勢が必要ということです。

 

人の意見に流されたり、付和雷同して、烏合の衆になってしまうと、戦争などによる痛ましい過去の歴史を繰り返すことに成り兼ねません。

太平洋戦争に突き進んだ日本の原因は、A級戦犯だけの所為ではなく、付和雷同してそれを煽動した国民自身の責任でもあるのです。

軍事力は、あくまで平和を脅かす存在に対して、行使すべきであるということを、私たちは肝に銘じなければなりません。

 

平和を脅かす存在は、甘い言葉と、美しい響きを以って、登場するのかも知れません。

このブログも含めて、よくよく吟味してくださいね。

 

ですから、みんなが、それぞれによく考えることが大切ですよね。

人が悪いと思われるかも知れませんが、まずは、疑ってみることで、深く知る手がかりが生まれるような気がします。

書物やネット上の情報もフェイクな情報が氾濫しているので、その情報の確かさを自分で調べて吟味しなければなりません。

自分だけでは難しくても、気の知れた友人や尊敬する先輩などと情報を共有することで、その確かさを客観的に判断できるはずです。

また、出会う相手についても、昨今のオレオレ詐欺はもちろんのこと、これは、上司だろうが、偉い人だろうが、その人の身なりやステータスだけで単純に信用してはいけません。

上司が提示した目標だって、本当にそれが達成できるものなのか、実績を繕っていないかなど、吟味が必要ですよね。

 

宗教や愛などについても然りです。

それに背くと罪悪感を持ってしまいがちなので、とかく盲目になりがちな面がありますが、自らの内なる魂(神)に問いかけてみなければなりません。

愛を否定するものではありませんが、宗教や愛憎が絡んだ争いは、時に惨い結果をもたらします。

嘘も方便などと言いますが、それは相手を傷つけない配慮、陥れない愛嬌としてのみ使うべきです。

只々、真実を見つめて、行動することが大切だと思います。

 

真実は、表面には現れておらず、通常は隠されている ということを、古事記や多くの歴史書は我々に伝えています。

みんなで、本質を見抜く力を養って行こうではありませんか?