神武への系譜 総括(改訂決定版)解説 (11)大碓命(12)勢夜陀多良比賣 | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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秋分の日を過ぎて夜が次第に長くなり、これから秋が深まっていきますね。緊急事態宣言が解除されればもう少し外出もできるようになり、深まり行く秋を満喫する機会も増えそうです。とは言え、大型の台風16号の動きも気になります。日本列島への影響が出ないことを願っています。

 

さて、今回は、倭建命の双子の兄とされる大碓命と、妃とした勢夜陀多良比賣に焦点を当て、関係する神々を解説させていただきます。

本投稿に先立ち、「概要」を訂正して追記しましたので、そちらも併せて確認いただければ幸いです。

なお、文章を簡潔にするために丁寧な言い回しはしていませんが、ご容赦ください。

 

(11) 大碓命

倭建命の解説で述べた通り、大碓命神八井耳命に比定しているが、日本書紀綏靖天皇紀によると、神八井耳命は224年頃(倭建命死去253年-29年)に亡くなっているので、山代の内臣の祖:味師内宿禰は大碓命ではなくて、神武天皇のもう一人の御子とされる日子八井命に比定した須佐之男命ではないかと思われる。

倭建命の東征が邇邇芸命と倭建命によるものであったことを考えると、倭建命の征西も実際には邇邇芸命と大碓命によるものだったと想定され、その出陣で大碓命が死去したことが窺われる。

福岡県久留米市の高良大社の祭神である高良玉垂命の名から玉=翡翠、垂=御幣(紙垂)が連想され、沼河比賣の御子で、神武天皇記での神八井耳命の忌人となって弟を支えるとの言葉と合致する。

高良山は耳納(みのう)連山の一角を成し、日本書紀の景行天皇紀で大碓命を美濃に任じたとあるので美濃→耳納とすると「耳」の付く神八井耳命が埋葬された場所とすると辻褄が合う。

日本書紀の景行天皇紀によると、熊襲討伐より前に美濃に行かれているが、大碓命も遣わされている。

そして、大碓命が天皇に報告なしに姉の兄遠子と妹の弟遠子の両方と通じたと記されている。

「遠」の通り遠い所に住まう姫たちとすれば、遠江の浜松辺りを連想しそうだが、玄界灘の沖ノ島である奥津宮とした八上比賣の娘たちは近畿から遠い九州で生まれ育った可能性が高く、兄遠子=比婆須比賣命、弟遠子=勢夜陀多良比賣とすると、母の八上比賣が沼河比賣と共に神武天皇記の伊須気余理比賣として神沼河耳命、神八井耳命、日子八井耳命の3神の義理の母となるので合致する。

また、勢夜陀多良比賣=木俣神・御井神とすると、高良山の近くを流れる筑後川は日田などで切り出した木材の輸送路となっていたと考えられ、有明海に注ぐ河口に位置する福岡県大川市は木材の一大集積地で家具の町として古くから栄え、筑後川支流である宝満川の福岡方面への分岐点は久留米市の高良山の麓の御井町にも程近く、木俣神・御井神を象徴する地理的環境を有する。

 

 

(12) 勢夜陀多良比賣

三嶋湟咋之女:勢夜陀多良比賣は、八上比賣の解説で記した通り、製鉄に関係する『たたら』を含む名で、八上比賣の娘で木俣神御井神に該当すると思われる。

倭建命の妃として、応神天皇の后となる伊須気余理比賣の父で仲哀天皇にも比定した 品陀真若王を産み、正妻の天照大御神と同じく比婆須比賣命の兄比賣(兄遠子)に対して弟比賣(弟遠子)となる。

日本書紀の仲哀天皇紀には、成務天皇には男児がなかったので倭建命の御子である仲哀天皇を後継とされたと記されているが、沼河比賣の解説で述べた通り、同じ天皇記の中でもその天皇他を演じるキャラクタの定義が微妙に変化していることを考え合わせると、成務天皇が沼河比賣に比定した弟財郎女を后にされたと記されている通り、重ね合わせにより成務天皇=邇邇芸命とするスタンスも含まれているとすると、同日生まれの成務天皇と建内宿禰に分割し、御子である仲哀天皇を倭建命の御子とさらに分割することで、異なる3名のキャラクタとして記すことで解読を阻んでいるものと解釈する。

したがって、勢夜陀多良比賣はこの3名のキャラクタと結婚されて仲哀天皇と同一人物と思われる品陀真若王を生んだとすれば辻褄が合う。

また、「三嶋湟咋之女」の意味は、静岡県三島市の三嶋大社や愛媛県今治市の大三島にある大山祇神社の祭神 大山津見神=大国主命=大山咋神=三嶋湟咋とすれば、その娘なので勢夜陀多良比賣は大国主命と八上比賣との間に生まれた娘と捉えることができる。

特に三嶋大社のある三島市は倭建命=建内宿禰の終の棲家となったと考えられる高尾山古墳のある沼津市の隣町なので、建内宿禰が三嶋大社の創建や勧請に関わったことは想像に難しくない。

また、応神天皇記には、后となって大雀命を生んだ中日賣命の父 品陀真若王の母を志理都紀斗賣と記されているので、勢夜陀多良比賣=志理都紀斗賣と考えられる。

なお、八上比賣の解説にも述べている通り、勢夜陀多良比賣は大物主神の化身である丹塗り矢で女陰(尻)を突かれるので、志理都紀斗賣→尻突き富女でもあり合致する。さらに、「知り・突き止める(神武の系譜を)」と言えるかも知れない。

天照大御神の解説にも述べた通り、大物主神を祀る意富多多泥古=倭建命とすると、倭建命と結ばれ品牟都和気命=仲哀天皇=品陀真若王が生まれ、神功皇后と結婚するので、神功皇后が伊須気余理比賣とすれば、勢夜陀多良比賣が間接的に伊須気余理比賣を生んだことになり、応神天皇とも重ね合わされている(鵜葺草葺不合命の解説で後述するが仲哀天皇との倒置あり)とした古事記の神武天皇記の記述内容と年代的な整合性も含め辻褄が合う。

そして、倭建命の東征で立ち寄り娶る尾張国の美夜受比賣は宮津姫とすると丹後半島の巫女養成の地にも関わりがあると思われるが、建稲種命の妹とされており、建稲種命→建稲田根命→建櫛名田根命→須佐之男命とすると、最後にその后となった比婆須比賣命の妹の勢夜陀多良比賣となる。

沼河比賣や天照大御神の解説で述べたように、布多遅能伊理毘賣命は勢夜陀多良比賣と同一人物だと思われる。

比婆須比賣命・伊邪那美神の解説で述べたように、勢夜陀多良比賣は意祁都比賣命というキャラクタでもある。

天孫降臨の段で猿田毘古神を送り届け、猿女の君と呼ばれた天宇受賣は猿田毘古神に比定した倭建命と結ばれる勢夜陀多良比賣と思われる。

「概要」の孝元天皇以前の天皇との重ね合わせの検証で、天照大御神に重ね合わされているとした安寧天皇記に登場する蠅伊呂泥を比婆須比賣命としたので、その妹とされる蠅伊呂杼は勢夜陀多良比賣となる。

沼河比賣の解説で述べたように、倭建命を成務天皇とすれば、その妃となる勢夜陀多良比賣も沼河比賣と共に弟財郎女となる。