神武への系譜 総括(改訂決定版)解説 (1)伊迦賀色許賣命・竹野比賣 訂正2021年8月12日 | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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8月9日にアップさせていただいた内容に一部誤りが見つかったので、再度訂正させていただきます。

伊迦賀色許賣命と竹野比賣が異なる人物であることが判明したので、それに合わせて関係者の年代を見直し、検証図の訂正を行いました。

 

 

東京2020オリンピックは、コロナ禍を始めとする様々な障害を克服しながらも何とか成功を収めることが出来たのではないでしょうか。

私はテレビで観戦する一視聴者に過ぎませんでしたが、改めて感動と世界平和に寄与するスポーツの意義を感じることができ、有意義な時間を過ごすことができました。

これも大会関係者をはじめ多くの方々のご尽力があったからと改めて敬意を表したいと思います。

 

さて、今日は長崎原爆の日にあたります。

前回の繰り返しになりますが、世界の平和、引いては日本の平和を守るために、唯一の被爆国として核兵器の廃絶を推進して行く必要があると考えますが、そのためにも歴史の真実を知ることは、我々が過ちを繰り返さないために重要なことだと考えます。

 

そこで、今回から記紀の神話を読み解くことで見えて来る弥生時代の歴史の真実に焦点を当て、解説を投稿して行きます。

まず、第一番目は、開化天皇記に登場される伊迦賀色許賣命と、旦波の大縣主:由碁理の女 竹野比賣 を取り上げます。

なお、文章を簡潔にするために丁寧な言い回しはしていませんが、ご容赦ください。

 

開化天皇記には伊迦賀色許賣命を娶って崇神天皇と御真津比賣命を生むとされており、伊邪那美神=御真津比賣命とすれば崇神天皇とその妃になる伊邪那美神を生むことになり合致する。ただし、崇神天皇の生存年代が合わなくなるので、伊迦賀色許賣命と竹野比賣は同一人物ではない。また、崇神天皇は御真津比賣命を娶って垂仁天皇を生むともされているが、垂仁天皇は天照大御神と共同統治する邇邇芸命も指しているとすれば、邇邇芸命は伊邪那美神の夫となるので崇神天皇が生んだことになり合致する。また、竹野比賣は年老いて丹後国に帰された後、竹野神社に天照大御神を祀るので、天照大御神の実母とすれば辻褄が合う。

 

開化天皇=伊邪那岐神は旦波の大縣主:由碁理の女 竹野比賣(たかのひめ)と結ばれ、開化天皇との間に比古由牟須美命=大国主命が生まれる。

しかし、竹野比賣は地方豪族の娘であり、国生みという大事業のために船で全国を旅するような海神ではないため、伊邪那美神ではない。

 

久津姫・櫛名田比賣・石長比賣(いわながひめ)も竹野比賣と同一神とすると、近江国風土記の竹生島の伝承に久恵峯(→九重の峰=久住山)にいるとされる比佐志比女命の記述があるが、「ひさしんひめ」と読めば「久津姫」であり、「くしんだひめ」と読めば「櫛名田比賣=櫛灘姫」となり、大分県の九重から阿蘇の外輪山である根子岳を観たギザギザの景観は木花佐久夜毘賣の姉にあたる「石長比賣」を連想させ、大国主命が竹野比賣を伊邪那岐神から後妻に貰ったとすれば、竹野比賣は沼河比賣の義姉になるので合致する。

なお、櫛名田姫は須佐之男命の妻とされているが、神話では大国主命と須佐之男命の関係が逆転しているので、大国主命と須佐之男命を倒置すれば大国主命の后となり納得できる。

 

垂仁天皇記は天照大御神だけでなく、同じ時代に共同で統治した邇邇芸命も含んでいて、出雲に天孫降臨した邇邇芸命に返されるとすれば、垂仁天皇記に登場する圓野比賣命(まとのひめ)と歌凝比賣命(うたごりひめ→疑り深い姫)は神話の石長比賣と同様に返されるので竹野比賣と同一神となる。そして、大国主命に嫉妬したとされる須勢理毘賣命も竹野比賣と同一神とすれば、疑り深い姫とした歌凝比賣命と相通じるので納得できる。

 

古事記 開化天皇記によると美知能宇斯王の父神は日子坐王で母神は天之御影神の女:息長水依比賣、后に丹波河上摩須郎女、御子に比婆須比賣命・真砥野比賣命・弟比賣・朝廷別王がいるとされる。下図を交えながらその検証を以下に示す。まず美知能宇斯王→道の牛の王→牛頭天王とされる須佐之男命と置いて、后の丹波河上摩須郎女を伊邪那美神と置くと、須佐之男命の兄だが義理の父とも言える大国主命=日子坐王となり、その妃となる八上比賣・竹野比賣・沼河比賣は母神の息長水依比賣の候補となる。ここで息長水依比賣を名前が水に関係する沼河比賣とすると、天之御影神の子孫に国忍富命という方の名前が見えるのでその名からは倭建命が連想され辻褄が合う。また、大国主命と須佐之男命の倒置により、大国主命=美知能宇斯王ともなるので、その后の丹波河上摩須郎女も上記3人の妃が候補となる。ここで本妻を年長で同じ丹波出身の竹野比賣とすると竹野比賣=丹波河上摩須郎女となる。そして、美知能宇斯王と丹波河上摩須郎女との間の御子たちについては以下のとおり。竹野比賣の御子でもある大国主命が開化天皇亡き後、竹野比賣を自分の后に迎えたとすると、真砥野比賣命(圓野比賣命)=竹野比賣も大国主命を介して御子となる。神生みで亡くなる伊邪那美神の埋葬の地とされる比婆山に因んだ名と連想させる比婆須比賣命=伊邪那美神とすると、伊邪那美神は竹野比賣の御子である須佐之男命の后となるので須佐之男命を介して御子となる。 同様に、竹野比賣の御子の天照大御神とその夫の倭建命を弟比賣と朝廷別王とすればいずれも御子となる。