記紀の仮説 安寧天皇 | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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今回は3代 安寧「あんねい」天皇に関する記述を比較検討していきます。
安寧天皇は、古事記で師木津日子玉手見命呼ばれ、日本書紀で磯城津彦玉手看天皇呼ばれています。
古事記上巻では、別天つ神五柱5番目に登場する天之常立神相当し、倭国を統治された方と思われます。
 
この方の即位の干支から推定すると、干支癸丑、日本書紀の記述どおり在位期間38と思われます。
 
 
安寧天皇 癸丑西暦BC127年即位
徳天皇 辛卯→西暦BC88即位
 
 
木津→鴫津で、鴫が生息する河口や干潟を想起させます。
安寧天皇の宮は片塩の浮穴宮となっていますが、この方の御子で和知都美命は淡道の御井宮とあるので、淡水の道:筑後川を遡った久留米市御井町辺りを想定します。
したがって、片塩の浮穴宮も、筑後川の河口付近ではなかったかと思われます
河口近くに浮島、浮盃、上流に行くと浮羽など、浮のつく地名が散見されます。
 
 
古事記の安寧天皇の段に出てくる以下の地名からも裏付けられるように思われます。
 
伊賀の須知の稻置→佐賀市兵庫町若宮伊賀屋
三野の稻置→久留米市田主丸町耳納連山
 
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