神社仏閣の朝の境内は本当に心が落着きます。
ひんやりとした空気、杜の匂い、鳥のさえずり…。
今日はちょこっと小山町須走まで車を走らせ、厳粛な雰囲気を感じてきました。
 
<富士浅間神社>
 
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富士講講碑群
 
江戸期後半~大正期にかけ建立された
富士講の登拝記念の石碑です。
 
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根上がりモミ
 
このモミの木は小山町の天然記念物に指定されています。
モミ、ブナ、カシの根が複雑に絡み合っています。
 
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浅間の杜
 
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信しげの滝
 
浅間の杜から生まれた清流が滝となっています。
 
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大鳥居
 
扁額には「不二山」と刻まれています。
 
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随身門(1767)
 
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富士塚の狛犬
 
昭和初期に山三元講より寄進されたものです。
「獅子の子落とし」ですね。
 
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社殿
 
現在の社殿は宝永噴火後に再建されたものです。
主祭神 木花咲耶姫命
相殿神 大己貴命
相殿神 彦火火出見命
 
境内に鳥のさえずりがこだまします。
なんて気持ちが良い雰囲気なんでしょう。
杜に包まれ隔絶された異空間にいるような気がします。
 
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神馬舎
 
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社護神社
 
御祭神は社護神社の月讀命、日枝神社の金山彦命他、
13柱の神々を祀ります。
 
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恵比寿大国社
 
御祭神は大国主命床と事代主命です。
 
<伊奈神社>
 
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富士浅間神社参拝後、すぐ近くにある伊奈神社に向かいます。
新田次郎の「怒る富士」を読み、一度訪れてみたいと思っていた神社です。
 
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伊奈忠順
 
伊奈忠順は1707年に発生した富士山噴火の際、
幕府より砂除川浚奉行として派遣され、酒匂川の砂除け
堤防修復等に従事しました。
 
しかし幕府の支援が行われない村では飢餓で苦しむ者が続出し
それを見かねた忠順は独断で幕府の米蔵を開き飢民へ分配するのです。
後にこの行為を咎められ罷免されたと伝わります。
 
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拝殿
 
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社殿の彫刻です。