2011-09-14

今日のブログの内容は、永田町異聞さんのブログを引用しています。

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すべては「死のまち」と表現したことからはじまった。「ゴーストタウン」と言っておけば、記者たちは記事にしなかっただろう。

9日午前の閣議後会見。鉢呂前経産相の発言はこうだったという。
福島第一原発周辺について。「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』という形だった」(朝日新聞より)

これを「市街地は人っ子一人いない。まさにゴーストタウンだった」とすれば何の問題もなかった。

鉢呂氏にすれば同じ意味のことを言っているのだが、すぐに適切な言葉が浮かばなかったのだろう。

ついこの間まで生き生きとした人々の暮らしがあった場所の、むなしい現実を目の当たりにし、そのときに感じた思いを記者たちに伝えたかったに違いない。

ところが、鉢呂氏は記者の性分に精通していないのか、言葉づかいに無防備すぎたようだ。つい「死」という、衝撃度の強い日本語が出てしまった。

「死のまち」とはなにごとかと、全体の文脈とは離れた単眼思考が記者たちに広がりはじめる。やむなく故郷を離れざるをえなかった人々の、望郷の思いを断ち切るような冷酷な言い方であり、大臣の資質に欠けるのではないか。「死のまち」という言葉だけを切り取れば、たしかにそうだ。

誰かがそれを問題にして書きそうな気配を見せると、特オチを恐れて記者クラブの全員が一斉に走り出す。それを受けて本社デスクはさっそく福島の住民や町長らの声を取材するように指示する。

話の全体を知らないで「死のまち、と言ったそうですがどう思いますか」と記者に問われれば、誰だって誘導のまま「それはひどい」と言うだろう。

野党にコメントを求めると、さらに騒ぎは拡大し、いつの間にか永田町を揺るがす大騒動となってゆく。

そんな状況で、火に油を注いだのは9日夕に放映されたフジテレビのニュース番組だった。

福島第一原発周辺を視察し8日午後11時半ごろ防災服のまま議員宿舎に戻った鉢呂氏は、待ちかまえていた記者約10人に囲まれた。そのときに鉢呂氏が見せた一瞬の言動をこう報じた。

「防災服の袖を取材記者の服になすりつけて、『放射能を分けてやるよ』などと話した」

9日の「死のまち」発言で、前夜のことを思い出し、付け加えればさらに大きなニュースになると判断したのだろう。

翌日の朝刊に間に合うことから、新聞各社はこれを後追いした。ところが、フジが報道するまでどの記者もあまり気にとめていなかった言動のゆえか、翌日の記事は各紙に食い違いがみられた。

◇朝日新聞「記者団に『放射能をつけちゃうぞ』と発言していた」
◇毎日新聞「(記者に突然、服をなすりつけてきて)放射能をつけたぞ」
◇日経新聞「防災服の袖を記者に押しつけ『放射能を分けてやるよ』と冗談まじりに述べた」
◇読売新聞「防災服の袖を取材記者にくっつけるしぐさをし、『ほら、放射能』と語りかけていた」
◇産経新聞「記者に防災服の袖をすりつけるしぐさをし『放射能をうつしてやる』などと発言」

要するに、どの記者も明瞭に記憶している内容ではなさそうである。その証拠に、10日の辞任会見で、記者クラブ加盟紙の記者たちが次のような質問を鉢呂氏にしている。

産経新聞記者「非公式の場で防護服を、放射能をなすりつけた事に対して、本当にそういうことがあったのか、そのときのやり取りをもう少し詳しく」

朝日新聞記者「改めてお聞きします。非公式な場面での発言について、もう一度ご記憶にある範囲でどういうやり取りがあったかということと、そのやり取りについてどのように感じているのか」

鉢呂氏は明確に答えなかった。おそらくこの問題に一刻も早く幕を引きたかったからだろう。

フリーランスの記者が「記者クラブの言葉狩りに過ぎないと思う。単なる言葉の上っ面だけで、真理としては大臣の言った事は正しい」と発言したのに対する鉢呂氏の次の言葉が印象的だった。

「あなたの言葉は大変温かいですけど、決断をいたした鉢呂でございます。ご理解をいただきたい」

筆者は鉢呂氏のことを詳しく知らないし、別に好ましいタイプの政治家とも思わない。しかし今回の発言は、マスコミが「資質に欠ける」と大騒ぎして辞任に追い込むほどのものではなかったと思う。

新聞記事はいかようにも書ける。報道された事実を材料に、別のストーリーをつくることもできるのだ。記者諸氏に反射神経よりも、複眼的な熟考を求めたい。