今朝の雪景色の所為で、三月最初のブログは雪景色で!

当然と言って良いと思いますが、雪景色以外はブログネタ無し!と言う状態で・・・・・

お決まりの「出稼ぎ料理人の旅日記」の再開です。

英国編・其の1を送ります。

1991年9月、33年前私は44歳で、家族3人で初めての英国へ!

アメリカか英国か?余り悩む事も無く子供の教育を考えて英国のロンドンを選びました。私の仕事はサンフランシスコにも仕事の話はありましたが、中野さん紹介のロンドンに!

息子は小学四年生でした。労働許可書は3年のビザ、職業は日本料理人と言う事でした。3年間は英国に滞在出来る訳です。

私の海外経験は2度ほどで(フランス・パリ1年半ぐらい。スイスはスキーシーズンの半年間)多い方ではありませんが、和食の調理師としては大使館関係以外では珍しい方かもね?

始めはゴルフ場での仕事!と言う話でしたが・・・・・・・

ケータリング会社の方で働いて欲しいと言う要望で、1年以上働きましたかね?

ケータリングの日本料理を出前、出張サービスと良い初めての経験をさせて戴きました。

この頃はブリテン帝国の「陽の沈まない国」時代の繁栄を目の当りに致しましたよ。ケータリング会場はロンドンの歴史的建造物の中で行われるパーティー会場が多く、大英帝国の繁栄に眼を奪われてばかり居りました。

ケータリングの利用者は(ロンドンの金融関係や有名企業主催のパーティー)日本企業が多く、日本のお持て成し外交の為に日本料理の食事、着物を着た女性(学生アルバイトの日本人)の接客サービスは好評のようでした。私たちは調理済の料理を盛りつけたり、温め直した料理をお客様に提供すると言う仕事で、楽な仕事でした。

パーティーは毎晩ある訳では無く、余裕を持って料理も出来ました。ケータリングの調理師は、私以外は全員日本の調理師会の紹介でした。

住まいは会社が用意してくれたウインブルドンの隣村のレーニンズパーク村。地下鉄はウインブルドンが終着駅で、利用できず私は国鉄でレーニンズパーク駅からビクトリア駅まで汽車で、ビクトリア駅からは37番のダブルデッカーでパイドパークコーナーのケータリング会社に出勤と言う毎日でした。

当時のワンデー・トラベルカードなど、何処かに在る筈ですが「探すと見付からない物」ですね!

初めてのケータリングの出張は、ロンドンのバタシーパークでのイベントでした。日本のスポーツ用具の「ミズノ」が、ゴルフ界のスーパースタープレーヤーの「ニック・ファルド氏」とのスポンサー契約発表会場でした。其の時貰ったサインです。

ニック・ファルド氏はセント・アンドリュース(ゴルフの発祥地)で開催のThe OPEN(全英選手権で3度優勝した)ゴルフ界の英国人で有名なレジェンドで、当時は最強のプレーヤーです。

最初の有名人との出会いでした。

ファルド氏とは二度目の出会いがありましたよ。

二度目は2000年のセント・アンドアンドリュウスのミレニアムの記念大会!でした。一枚目のサインを見せました。

私はオールドコースホテルの中で鮨を握って居たのです。

新聞写真も飾り大事にして居たと、気に入って戴けた様でした。

二度目に鮨を食べに来てくれた時は、雑誌を持参で自分の設計したゴルフ場だと其処にサインしてくれましたよ!

今回は日時も日付けもバッチリです。

今度自宅で鮨を握ってくれないか?等と話も盛り上がったのですが、私の英語力では・・・・・・

スイスでのモナコのカジノのオーナー、F-1レースをヨットで観戦しながら鮨を握ると言う話同様に・・・・・・・纏まりませんでした。

息子にはこの様な機会を逃して欲しく無くて、英国移住です。

まぁ、英語が出来て居たら、板前など!には為って居ないでしょうけどね?

英国での「出稼ぎ!」は、多かったですよ。

波乱万丈の英国滞在は此れからですよ!

次回をお楽しみに!