雨で暇な所為も在りますが、雨を眺めながら渋谷で過した夜を思い出します。1981年5月から1991年まで、約10年ぐらい渋谷警察の裏で「酒肴処・山下亭」を営業致しました。

この店は初めての私の店でした。

六本木の宝タクシーの食堂は自営業とは程遠い営業内容でした。料理人としての腕試し的な食堂でしたが、お客様と言うかお客さんのタクシー運転手さんには評判が良く大成功でした。

「渋谷酒肴処・山下亭」は始めは閑古鳥が鳴く暇な店でしたが、1年、2年とお客様も増えて常連化して、10年も初めての土地の渋谷の街で一から飲食店が出来ました。

開店の1981年5月には息子の誕生もありました。

「出稼ぎ料理人の旅日記」ではありませんが、此れも料理人の流れですから・・・・・

毎月行事を遣る事を思い付き「年中行事」をする事に!

スキーが好きでしたから「スキー旅行」を企画致しました。

妙高赤倉でスキーパトロールをした事が在り、当時のパトロール仲間の梅津氏などの協力を得て貸し切りバスで一泊のスキー旅行です。50人くらいの御客を集められたのは、まだバブル期でスキー人気も高かったからかもね?

「七草粥、義理チョコの宴、雛祭り、七夕、海水浴、屋形船、秋川渓谷のバーべキュウー、花見から月見の宴、山下亭ゴルフ大会」迄、毎月行事を企画して「酒飲む宴」をして居たのです。

常連さんだけのお店でしたから出来た事かもね?

この器に酒を注ぎ飲み放題でした。枡酒にして居ました。

日本酒5升ぐらいは居るかもね?

お店のアシスタントに美人をアルバイトに来て頂き、手伝って頂いたのも集客に拍車を掛けたのかもね?

毎日アルバイトの若い女性が日変わって居たのですよ!

お店で出会い、結婚をした人たちも10組以上も居たんですよ!

子供が生まれて麻布から世田谷、三軒茶屋と駒沢大学駅の間の野沢へ移転しました。上馬の交差点まで30秒と言う処です。

お客は「世田谷の鰯御殿」と呼んで居ました。

「鰯の磯辺巻き」が大ヒット!安い大羽鰯が一品料理で大評判に為り、アイデア料理でしたが酢締めの鰯に大葉、カイワレ菜、山葵、白胡麻を海苔で捲いて6切れに切る!

此れでぼろ儲けをして世田谷の野沢に一軒家を買った!と言う。

順調満風で調子込んで居た訳でも無いのですが、毎晩御客がいれば深夜まで営業して居ました。自分の店ですからね。

1990年1月、お店で倒れて救急車で運ばれて入院!

「脳内出血!」でした。即入院でした。

運良く軽く済んで4月には花見が出来ました。

2ヶ月近い入院中も常連客が摘みを作り、休まずに営業をして居た様ですよ!年中行事のバス旅行で家内も息子も顔馴染みでしたから、入院中は家内が店に出て居た様でした。

10年間の「渋谷酒肴処・山下亭」を、1回の投稿で書くのは難しいですよね?

次回は又海外への「出稼ぎ料理人の旅日記」が始まります。