寒いけど良い天気です。

パノラムルームに陽が射して居て有難いです。

寒さの為か御客も無く遣る事も無いので、ブログのネタ切れで本日も「出稼ぎ料理人の旅日記」の続きです。

東京六本木に在った宝タクシーの社員食堂を、始めると言う所までが前回のお終いでしたね。

六本木の中心のアマンドの交差点から、麻布十番に下る坂道を5分も歩けば麻布十番の入り口に位置する場所に「宝タクシー」が在ったのです。

現在は六本木ヒルズとか言う場所に為って居る様ですね?

元麻布と言われる私が住んで居たアパートも、六本木ヒルズの一部に為って居る様です。

赤坂も麻布も六本木も修行時代後は一度も訪れていないので、宝タクシー営業後はスイスに夫婦で出稼ぎでした。

此の宝タクシーの食堂は誰でも利用して良い!と言う事でしたが、私がお世話に為っていた「中野さん」と言う会社の社長さんが居ました。中野さんの4歳ぐらいのお嬢さんが居たのですが、このお嬢さんが食堂のファンで「中野さん」が休みの日に食事に行く時「何処が良い?」と、聞くとお嬢さんは「山ちゃん食堂!」と言うそうで、良く来て頂きましたよ。

タクシー会社ですから駐車場は広いのですが、気を使って頂いて愛車のジャガーは麻布十番の駐車場に止めて、歩いて家族3人で暇な時間帯を選んで食べに来て頂きました。

中野さんには渋谷でお店を開く時には大変お世話に為りました。(仔細は渋谷のお店の開店時に!)

勉強の為にと、料理が美味しいと言う赤坂の料亭「新長谷川」に招待して頂いて、芸者さん付きで御馳走に為った事もありました。赤坂の天麩羅屋で働いて居た頃は出前でしか訪れた事の無い料亭でしたが、お座敷で初めて接待を受けましたよ。

朝早く築地市場に迄買い出しに行き(50ccのスパーカブで)朝の7時までには食堂に戻り、仕込みをして朝食に備えると言う日々を送りました。今でも在りますが「鯖の文化干し」当時は半身でしたが、50円ぐらいでした。脂ものって居て美味しい焼き魚でしたね。スイスへ行く前ですから1978か1979年頃の話ですね。

麻布の米屋さん(藤縄さん)は、食堂繁盛でお米の意消費量は半端じゃ無く、車の無い私の為に何でも言う事を聴いてもらいました。

麻布十番の商店会仲間で「麻布十番マーチャント」と言う草野球チームがあり、私も中野さん、藤縄さんも所属して居てチーム仲間でした。麻布十番で元阪急ブレーブスで野球プロの選手の方が引退後に麻布でスナックを開いて居て監督さんでした。

草野球が流行って居て時期で、麻布球場やお台場が原っぱの頃は、良く草野球の試合に行きましたよ。

宝タクシーの社員食堂は一年余りで営業を辞めました。

朝は7時から朝食、12時から昼飯、6時から夕食と言う三食を提供して居ました。営業時間は朝の7時から夜の9時まで営業して居ました。御客の来ない時間は休憩時間の様な物ですが、会社の寮に住んで居た人も居たので営業時間は長かったです。修行時代を除いて一番真面目に仕事をした時期だと思います。

身体を壊さなかったのは、若い所為と気合が入って居た所為でしょうね?大繁盛でしたからね。

会社の敷地の一角に一軒家の食堂がありました。

ひと月の売り上げが当時の新車が一台買えるぐらいの売り上げでした。家賃、電気、ガス代の光熱費、水道代全てが無料です。

築地市場で仕入れて調理して売り上げるだけです。身体はきついですが、それに見合う売り上げでした。!

1年で次のお店の開店資金が充分に稼ぎました。

丁度この時期にパリの高木君が、スイスで夫婦の日本料理人を探して居るから山下さん如何ですか?と言うお誘いでした。

お金の事は何も分かりませんが・・・・・・

家内が税金対策も兼ねてスイスへ行くのも良いかもね?と言う事で、海外のスイスへ出稼ぎです。

続きは次回の「出稼ぎ料理人の旅日記」でね!