屋根打つ雨音で眼が覚めると言う今朝でした。

大雨の様で此れが雪なら大変な積雪に為って居たと思われます。

土曜日に降った雨と牡丹雪は雨の勝ちで、其の侭夜半に続き今朝は本格的な大雨と為った様です。昨夜の残雪は跡形も無く消えて、室温4℃と言う暖かさで春の雨の様です。

この塩梅の天気では本日も来客は期待出来そうも無く、ブログネタも無いので「出稼ぎ料理人の旅日記」の再開と為りそうです。

昨夜は気分を変えて赤ワインなどを飲んで見たのですが、天気予報までは変える事ができなかった様です。本日の日曜日の夕食はステーキと思って居たので、ワインを開けましたよ!

酒を飲むのが「唯一の人生の楽しみ!」として、暮らして居る不便な田舎暮しです。酒は健康のバロメーターです。

日本での仕事探しはパリの友人の毛利君が、赤坂で焼き鳥屋を知って居る女将さんが居ると言うので、板前の求人募集が在ったらと声を掛けて置いて貰いました。

パリでの仕事を途中で止めて帰国をしたし、もう調理師会を頼る気持ちは無く為って居ました。

赤坂のコパカバーナ(デビ夫人も働いていたと言う高級ナイトクラブ・力道山もこの店で刺されていますよね)の隣の天麩羅屋さんで、人を探して居ると言うので紹介をして頂きました。

当時のTBSの前が一ツ木通り、外堀通り方向に一本入った所に天麩羅屋さんがありました。

総檜作りのカウンター(10客)とこ上がりの座敷が二つありました。TBSが近くにあり、芸能人も良く来て居ましたよ。

亡くなる前は水原弘さんが常連だったとか、沢たまきさんは良く来て居ましたよ。

カウンターは御主人と先輩はこのお店が初めてだと言う大学出の人でした。優しい先輩でした。

私は天麩羅カウンターの裏(裏の調理場は出入り口は暖簾で仕切られて居ました)で刺身や焼き物、煮物と天麩羅以外の裏方料理をして居ました。

このお店は何年居たでしょうか?、このお店のビルの上で働いて居た、お店の会計事務所の女性と知り合い結婚を致しました。

28歳だと思います。

パリで働いて居た鮨職人さんの一ノ瀬さんが帰国して、麻布十番で鮨屋を開店!其れに伴い私は赤坂の天麩羅屋を辞めて一ノ瀬さんの処で鮨の修行を始めました。

鮨屋の御客には作曲家の「すぎやまこういちさん」が居て、麻布の仙台坂の近くに住んで居て、良く鮨の出前で行って居たのですよ。奥様が気さくな方で素敵な方でしたね。

ある日、すぎやまさんが居て部屋に案内してくれて「自慢の世界中のゲーム」の数々を見せて戴きましたよ。ゲーム好きだったのですね。ドラゴンクエストの曲がすぎやま作品とは知りませんでした。「すぎやまさん」言えばタイガーズの曲ぐらいしか知りませんでしたが、ザ・ピーナッツなどの沢山の曲を作って居たんですね。

倉庫にたくさんのトロフィーが無造作に置いてあり、好きな物を幾つ持って行っても良いよ!とは言って居ましたが、全てはレコード大賞や音楽祭の作曲賞のトロフィーでした。

私はトロフィーは持ち帰らずに、立派な額縁を3~4個戴いてきた記憶が在ります。

パリの蚤の市でも額縁が高価な事は知って居ましたからね。

一ノ瀬さんの処では一年半ぐらい修行をしましたが、私は和食の板前で魚を下すのは得意ですから、鮨の握りと舎利合わせぐらいですから、魚の下ろし方の違いはありましたが、直ぐに覚えました。出し巻き玉子焼きも鮨用は和食より、焼き機が小さいので簡単でした。

鮨屋はカウンター商売ですから、麻布十番の此れが初めての客前の接客でした。カウンター商売は楽しい物でしたよ。

ある日常連客のお客さんが美味しい話を持ち掛けて来ました。

和食が出来るなら「タクシー会社の食堂をして見ないか?」と、言うお誘いでした。鮨も在る程度覚えたし、いい機会だと思いました。其処で「食堂なら洋食も!」と言う事で、食堂経営のオーナーのお店が五反田にあると言うので、半年ぐらい洋食の勉強に五反田ジローと言う店で働きました。

当時のシェフの麻生君は今でも付き合いが在り、昨年古民家に泊まりに来ましたよ!麻生君は千葉で「俵屋」と言う洋食のとんかつ屋を開いて居て、大成功しているとの事でしたよ。

洋食修行と言ってもゲスト待遇で、覚える事はクリームソースやケチャップ煮などで働き易かったです。

社内食堂は和食中心で町の食堂を考えて居ましたからね。

食堂のメニューなどは和食の賄い飯を作るぐらいの経験が在れば十分でした。洋食の殆どは、とんかつやアジフライなどの揚げ物中心でしたからね。

いよいよ、六本木にある宝タクシーの社員食堂の開店です。

私が経営者で私の料理の腕が試されるお店で、食堂と言うのは最高の場所だと思いました。

元会社の経営者からいろんな人が働く、都内のタクシー運転手さんです。腕試しにも持って来い!の場所でした。

何しろ家賃、光熱費、水道代全てが無料と言う好条件ですから、失う物が無いのです。

続きは次回ですね!