中学時代の同窓生の思いでです。

「私が日記をつけ出して半世紀が過ぎた。時折にしか書いていないが数十冊になり、本棚の長編小説の隣を占めている。
墓場に入る前に焼却しようと思っていたが、それでは何だかもったいない。今では再生紙として甦えらせたいと思っている。
私が日記をつけだしたのは中学2年生の新学期からのことである。
私が教師として一番尊敬する担任の山本悠子先生に勧められたことがきっかけだ。
その日の出来事を書いて翌朝、先生に提出すると、感想が記載されて帰りまでに返却された。
悪戯盛りの中学生の日常をありのままに書いた。一日も休まず毎日書いた。
先生の感想が面白く、調子に乗って誇張し、ジャンジャン、ドンドン、バリバリ書いた。クラス中に擬音語が氾濫した。
ある時から先生のコメントが変わった。
「擬音語が多すぎます」「真面目にやりなさい」ついに「ふざけなさんな」と書かれてしまった。
山下謙二と日記を見せ合うと、彼にも同じ注意が書かれていたので、顔を見合わせて苦笑いをした。
それ以来、真面目になったが、この時のことを昨日の出来事のように覚えている。
60人の生徒を相手に感想を書かれた山本先生の教師魂には敬服の至りであり、先生のお蔭で日記をつける習慣がついたことをとても感謝している。山本先生のご健勝をお祈りするばかりである。

元高宮中学2年6組 三谷宜郷」