石の上にも3年
3年
…
僕
大学生の頃から、
ハタチの時に曲を作り始め
ライブハウスで
活動をして
大学卒業しても
フリーターになり
音楽をやってました
ほんで何年もがんばりましたが
メンバーが辞めたり
ほんで
他の人が入ってくれたり
そしてまた
メンバーが辞めたり
そして
いろいろあって
心が擦り切れていって
磨耗していって
…
まあ
そんなヘロヘロでもなかったですが
初めの頃の情熱とは
ちょっと比べたら
冷めてはないけど
比較すると
温度的には低いような
でもそれは
ええ意味で落ち着いたとゆうか
形を変えて情熱は燃えていたのか
まあ
気持ちは
ほんまに形を変えながらでも
情熱は全然あの頃のままなはずやけど
でもやっぱり
周りのみんなが
就職や結婚で
これ以上バンドと帯同できない
そんな話何回も何人にも聞き
そして
音楽への情熱はあるけど
メンバーを引き留める情熱
情熱ではなく
引き留めるのは僕のエゴや
とかも
思ったり
…
まあ
紆余曲折あって
ここ数年
ってゆうか
10年くらい前から
ライブは
年に2~4回くらいに激減して
その都度サポートメンバーを探し
みたいな状況で
ライブ活動は続けてました
もちろん
曲を作ったり
いろんな練習はしてましたが
やはり
ライブをしてないのは
他人から見ると何もしてないように見えると思いますし
自分でさえ
何もしてないし
このまま終わってまう?…
みたいな
怖さ?
まあ
もともと何も始まってないし
終わりもクソもないわお前なんか!
って
見られるかもですが
ん
このいつもの感じ
文章が長くなってきたら
よくわからんようなってきた
とにかく
バンドメンバーもおらんし
やってくれる人は居てても
ライブハウスで毎月ブッキング組んでもらって
前みたいにガンガン活動なんかできひんよなぁ
やってくれる人おらんから
できひんなぁ
…
とか
グズグズ思ってたんですが
ある時
弾き語りもせなあかんけんけどなぁ…
もっと練習せななぁ…
って
僕がゆうと
塚本ハウリンバーで飲んでるとき
それは
もしかしたら
年に2~4回のライブの時やったかもやけど
カウンター越しに
言われまして
その言ってくれた人は
今もガンガン、バンドやってまして
その時もガンガンやってて
その言葉の重み
説得力
やっぱり
戦線離脱してたんや
って自分で感じましたし
うまくなったらやるとか
ゆうてたらいつまでもできませんよ
とにかく絶対やった方がいいですよ
と
一言一句この言葉で間違いないわけじゃなく
ちょっと違うかもやけど
こうゆう事をゆうてくれて
そこで
はっ
と
それは2011年
2011年のヒロシは気付かされまして
そして
…
やっと
本題の
2012年から
うまく出来る自信なんかないけど
やるっきゃない
やらん選択肢ももちろんあったけど
心の中で迷ってた
背中をグイーーーンと
押してくれた感じ
それで
2012年から
毎月必ずライブをやろう!
バンドが無理な時は
弾き語り!
と
初めはほぼ毎月
弾き語り
なかなかうまくいかんかった弾き語りも
ほんまに毎日毎日アコギ弾きまくって
歌いまくって
練習しまくって
ほんま365日
ギター弾いて無い日
あった?
いやまあ
あったかな?
めちゃ体調崩した時
とか以外
ほんまに練習しまくって
ほんでうまく出来ひんのに
ライブの日がすぐきて
そして
うまくいかず悔しく
また練習して
ほんでまた
ライブの日がすぐきて
そう
毎月やってたから
ほんまに
すぐライブで
終わって
はい、ちょっとの間おやすみ~
とかの期間が全然なくて
初めは追われてる感じやったけど
途中からそれに慣れ
早く次のライブやりたい!
みたいな気持ちになれたり
そしてやっぱり徐々に
ギターも歌も
絶対うまくなってきてるなぁ
とかも思うし
もちろんかなり大変やったけど
ほんまに充実の3年やったなぁと
…
なんか
3年で
もう
やめ
みたいな
結末を予感できる文章かもですが
?
それは
もう
もちろん
まだまだやるんですけどね
ただ
3年
普通に仕事しながら
それはそれは
大変やったなぁ
…
って
もちろん誰に自慢できる
すごい結果なんか
ないのかもですが
でも
自分の中でね
すごい
がんばってきた
それだけがすごい自信になるし
誇りなんです
そんなね
ライブをね
今日やってきて…
って実は
こないだの日曜日の
塚本ハウリンバーのライブした時点で
それは達成してたんですけど
気付いてなくて
今日
はっ
って思って
今
1人
缶ビールで
自分をねぎらってるんです
文章わけわからんから
飲み過ぎやん
って
思うかもですが
まだこの時点では
350mlのビールの
310mlくらい飲んだかな
くらいなんですけどね
…
とにかく
僕
よく
がんはりました