矛盾と聞いて、どう感じますか?



矛(ほこ)と盾(たて)。二つは真逆の機能をもち役割をもつ。相容れない存在。



矛盾の語源…
「どんなも突き通す」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていたの男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から。もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。(ウィキペディアより)




一般的には、言動や行動に一貫性がない事を挿しますよね。相手が言ってる事は、信用できるかといった"審査基準"のようなものだと思います。みなさんも、よく使われるのではないですか?ブログや動画を作って発信している人は尚更自分の発言には矛盾がないかどうか、普段から気をつけていると思います。



確かに、矛盾している事は信用できないですよね。そんな人の事を信じるのは困難です。
例えば、全然お金も持ってない人から「絶対お金もちになれますよ!」とビジネスを誘われるとか。(めちゃ多い)




基本的には、正しくないとか信用できないといった、人をネガティヴに捉える時に使われます。






そんな「矛盾」ですが、私は最近常々感じる事があります。









世の中の真理って、矛盾の中に隠れてる!
ような気がする。




って。





たとえ話をしましょう。
これは実体験なんですが、私は友達に定期的にコンサルをお願いしています。その中で私とほぼ同時期に始めたもう一人のクライアント(Hさん)と、今日は合同コンサルと言う事で、三人で集まってあるワークをしていました。




その中で、私とその人の才能を見つけるって感じの内容だったんですが、私達二人は、どちらも"アート"の才能がある事が分かりました。(今日初めてわかったのではなくて、会を重ねるごとに確信に近づいている)
内容としては、私は『歌』でHさんは『絵』だったのです。




Hさんの才能は、私も見せてもらったのですが、子供の頃、授業中に無意識に黒板に写った(自分の中で)景色を机や紙に書き、密かに楽しんでいるような子供だったというのです。その後、年賀状の裏に書くメッセージに絵を添えて一つの作品のように仕上げていたり、自分で思い浮かんだ言葉と絵で作品を作ってニヤニヤしていたのだそうです。




私は私で、小学校の音楽の時間に合唱の楽しさを身にしみて体験し、そこから歌を歌う事が楽しくて楽しくて、いつも音楽の時間になると人には言わないですが、ワクワク感と感動を感じながら音楽室へ移動をしていた事を覚えています。その流れで、社会人になった今もギターを弾きながら歌を作ったりして、一人で楽しんでいました。




そんな私達には、共通して苦手な部分がありました。それは、自分を発信するのが下手だと言うことです。発信をしていないわけではありません。それなりに行動もしますし、その為に本も読んで学ぶ(インプット)事も積極的に行なっていました。いろんな活動を通して、自分を認知してもらおうと、知ってもらおうと必死になっていた事もあります。(結局それに疲れてしまったんだけど…。)





しかし、私達はうまくいくどころか自分たちの自己肯定感すらも落とす羽目となったのです。(過去の事ですが。)なぜか、、?






理由は、自分の活動を発信する事で、
承認欲求を満たそうとしていたからです。


自分をよく見せたり、いろんな活動をしている自分を「凄い」と思わせたくて右往左往!自分に合わない事にも手を出したり、スピードや結果ばかりを追い求め、自分を過大評価し、そんか時は心なしか他の人を否定的に見てしまいがち…。(動けない人はダメ。みたいな)
でも、この行動を知ってもらう事が、見てもらう事がきっと意味がある。まだ一人でも多くの人に知ってもらうべき事なんだ!とモチベーションとテンションで動き続けていました。







そんなこんなで、結局私達は大失敗。私に至っては自尊心も揺らいでしまうくらい奈落の底に落ち、病に伏せてしまったのです。。。(笑)
(去年の年末から、今年の1月いっぱいまでくらい)







そんな中、今日のコンサルで三人一致でこれをやるべきかも!それぞれと思えた事は、冒頭にも描いた『歌』と『絵』だったのです。




…私達は、さんざんいろんな知識を勉強し、マーケティングや自己啓発セミナーに通い、届け方を学び、届けるべき事を考え、必死にそれをわかってもらおうと奔走していたのです。






なのに、私達が発信するべきは『歌』?『絵』?
んん〜〜〜?!






私達はお互い、この分野に関しては、自分自身でただただ楽しんでいればよかった事で、もっと言うと、自分たちよりも凄い人や、うまい人なんて死ぬほど見てきたから、これは自分が発信するものではないな。と心に決めていた事なのです。

つまり、、

歌を歌っている時だけは、周りの目を気にせずに楽しんでいる。
絵を書いているとき、誰かに見られてるなんて微塵も思わず、ただただ夢中になっていたのです。





誰に届ける必要もないし、自分がただ楽しんでやっていること



だったのです。
わかりますか?この矛盾(笑)







届けるべきだー!といっぱい学んで、いっぱい動いて、必死に受け取る人の事を考えて(ひと目を気にして)頑張っていた事は、実は
届けるべきものではなく

誰に届けるわけでもないし、気楽にやろっかー♪っていう事が実は
届けるべきものだった!

のです!まさに、青天の霹靂!!うわぁぁぁぁ〜〜〜!!そっていぃぃぃ?!?!(笑)そっち系ね〜〜?!(笑)








ちょっと、分かりづらかったかなぁ。







つまり、届けるべきものがある!と鼻息荒くして、いろいろ武装して、理論や知識に基づいて「何か」になった自分を発信しても、結果だれも救えないし、誰にも届かない。





でも、誰に認められる訳でもないし、自分がいいと感じていればいいとんね〜♪楽しいもんね〜♪という「自分の自然体」を発信する必要があったんです。(でもこれを機に、発信するべきものにしてしまってはだめだよ!あくまで自然体で…)







そもそもさ、承認欲求を求めてもきりがないのです。それなら、最初からそんなもの必要もないもので自分を表現したらいいのです。だってその方が続くからさ。





結局は継続。それが一番強い。というか、継続できてる事が"想い"の表れだし、比例していると思うのです。








一見、人を判断したり、信用を図る時に使う「矛盾」という言葉。これは実際、本質を内在している。というのは、たまに言っていますが、物事は一方を知る事でその反対側を知る事ができる。表裏一体というやつです。矛盾というのはまさにその一体感を表していると思うのです。それは、あれもこれも、実は同じじゃない?という事が隠れている言葉だと思います。








だから、世の中の「矛盾」に出会ったときは実はチャンス。その性質を分解し、整理してみると、もともとは一つだった。という真理に近いものが見つかるかもしれません。






よろしければ、ご参考までに☆
最近感じている事のシェアでした。