『否定を手放す』







と一言で言っても、なかなか難しいものだと思います。そもそも私は、「否定する行為」を「否定する」つもりはありません。(否定する事を否定してしまっては、否定を手放そうという事自体を否定してしまう事になるので、否定する事を否定する事は、まさに否定を肯定してしまう「否定の行為」になってしまうからです。はいここで問題!否定という言葉を私は何回言ったでしょう〜か?!)









人が何かを否定する行為。それは、ネガティブなエネルギーです。ネガティブなエネルギーにはその後ろに「必要性」が隠れています。
つまり何かしらの「必要性」があって、そのエネルギーを出さざる負えない状態なのだという事です。私達はそれを理解しなければなりません。そうでなければ、【否定する人をただただ否定する、否定する人になってしまうからです。】(わかりにくいなぁ〜?笑)








そうそう、否定とは【不理解の裏返し】
だから否定を手放すという事は、否定を理解してあげなければ何も始まらないし何も変わらないのです。
だから、絶対に言っちゃいけない言葉は、

「あんた、人を否定しちゃダメよ!!」です。


これ、おもいっきり否定ですからね(笑)
誰かに対してもそうだし、自分にもです。










「悪い事」だから「悪い!」と言ってしまうのは、これこそ【単なる否定】なんです。同じネガティブなエネルギーです。そうやって、圧力とか権力とか正義とかでコントロールする事が実は一番良くない。そして、実はみんなが一番やりがちな「否定」です。










ルールや規則って、全体の規律を保つ為の目安でしかないのに、それを重視するあまり人をけなして、その人の人間性までも否定してしまう。それも平気で。だって、ルールという正義が後ろにあるからね。これが本当にたちが悪い。"純粋に人を傷つける行為"です。










覚悟の話でも言ったけど、【悪い人】っていうのは、[悪い行い]と[人]が掛け合わさって成り立つものなんだ。だから、ルールが罰していいのはその行いだけ。その人自体を罰してしまうのは【否定】になっちゃうんだ。
じゃあ、どうすればいいのか…。









【悪い事➡ネガティブなエネルギー】には、必ずなにかしらの「必要性」がはらんでいる。そうせざる負えなかった。そうしなきゃ生きていけなかった背景がある。そこに目を向ける事です。










少し、大げさな話をします…
人を殺してしまった人を見たとき、あなたはどうしますか?









「人間のする事じゃない。」
と【否定】しますか?
それとも、
「なんで殺してしまったんだろう?」
と【関心】を寄せますか?









なかなかシビアな事例ではありますが、【否定を手放す】という事は当然、後者を選択します。(※被害者や当事者、関係者はその限りではない。)









「否定を手放す」と言う事はつまり、「理解しようと努める」という事と同義です。










否定を手放す
=
理解に努める



そう。全ては理解しようとするところから始まるのです。その為には、ベースに【覚悟】が必要になります。

(私の提唱する覚悟とは"信じる事"です。※)

その人の行いは横に置き、その人も、私も、また全ての人はもともと皆同じなのだと信じる事が大切です。彼のような環境や価値観で生きていけば、私もそうなったかも知れない。「明日は我が身」ではないですが、そう感じてみると、理解できないと思っていた人でも、段々と同情する事ができ、理解する為のステージに移れます。









悪い事をしてしまった、「その背景」を観る。
その「必要性」がどこから来ているのかを観る。信じ難いかもしれませんが、人を殺す事も『必要な事』だったのです。(その人にとっては)ここから目を背けてしまっては絶対に根本的な解決へは結びつきません。「人を殺していいわけ無いだろ!」という、アプローチの解決法は対症療法であり、潜在的な問題にまでアプローチできないのです。










人をすぐに否定してしまう人は、自分がなぜ「それを必要」としているのかを探ってみてください。周りにそんな人がいるなら、その人がなぜ「否定を必要」としているのかを探ってみてください。ネガティブなエネルギーを出そうとする時、その裏には必ず必要性がある。目の前の人の言葉や態度のどこかに、自分が否定したくなるポイントが必ずあります。(また逆も然り)そういう、自分の癖や感情のパターンを感じてみてください。そして、できればムカついたり、何か言いたくなってもその場では言わないで、一人になってから愚痴りましょう(笑)できればそれを紙に書いて見てみましょう。









そうする事で、自分がどの部分に反応しているのかや、どんな癖があるのかが視覚的に分かってきます。そうやって、自分の感情が理解できてくると、一人でに静まってくるのです。自分で自分の感情を抑えれる癖が付けば、【否定を表出】しなくてよくなります。「理解出来ねぇよ!」と伝える『必要がない』からです。









やっと、今回の本題にきました。(笑)
そうです。すべての解決の糸口はここです。









『必要性がない。』






怒っちゃいけないんじゃない。
怒る必要がないのだ。

バカにしちゃいけないんじゃない。
バカにする必要がないのだ。

否定しちゃいけないんじゃない。
否定する必要がないのだ。

人を殺しちゃいけないんじゃない。
その必要がないから、やらないんです。








なんで、あなたは人を殺さないのか?
なんで、ものを盗まないのか?
なんで、人を傷つけないのか?








それは一重に、あなたの人生にはもう必要がないからなのです。








逆に考えてみてください。その必要性を背負って生きている人って、凄くかわいそうだと思いませんか?今、あなたが突然誰かを殺さなくてはいけなくなったとしたら、目の前の人を傷つけなくてはいけないとしたら、とても不幸だと思いませんか?まさに、そんな状態なのが犯罪を犯してしまう人たちだと私は思います。
そんな人達に罰を与えても、そこから発せられるエネルギーはネガティブなものでしかない。








だから、「お前は悪いヤツだから、生きてはいけないんだ!罰を受けて当然。人を殺したんだからお前も死んで当然だ!」と牢屋に打ち込むよりも、




「辛かったんだね、誰にも理解してもらえなかったんだね。やった事はもう返っては来ない。でも、私は理解します。そうしなきゃ生きれなかったんだろ?どうしようもなかったんだろ?でも、あなたはひとりじゃない。少なくとも私はあなたを理解します。やってしまった分は、これからの行いで返していこう。あなたにも必ず愛はあるのだから。」
(※被害者やそのご家族は例外です。あくまで第三者での話。)








「もう、必要ないね。」
って言ってあげれた時。









「もう、必要ないな。」
って感じれた時。






それが、本当にその人が手放した時なのだと思います。








すべての人が、否定を手放す事ができたら、
つまり、否定する事が必要なくなったそんな社会であるなら、あらゆる犯罪や誰かを傷つける事も必要ではなくなり、本当に大切なものだけを抱きしめて生きていけるんじゃないかなぁ。








私達は、ここまで本当にたくさんの事を必要としてきた。でもここからは、そうして身につけてきたものを一つ一つ外していく事。あらゆる事が「もう、必要ないね。」って言えるような生き方が本当の平和や幸せを見せてくれるような気がしている。まさに人生とは、必要なものを一つ一つ外していく修行なのだと思います。








終わり。