義兄が久しぶりにふるさと今治の地を踏むと聞いた。どんなおもてなしが彼の気に入るだろうかとつらつら考えるも、どんな計画か来てからでないとわからない。

 彼の一番の目的は3番目の姉の供養。都合でお葬式に帰れなかったし、今年は1周忌だし、お墓参り。そして彼の奥さんのお姉さんのお墓参りも。もちろん案内して私たちも一緒にお参り。

 そのお参りが済むとあとはどこへ行こうか?彼は育った街並みを歩きたい。18歳まで住んだ町の、路地、路地を歩いてみたい。細切れの時間をそれに充てていた。

「変わったなあ」「変わらへんなあ」「へー、こんなものができたのか?」

友人の家を訪ねると、「お父さんは去年亡くなりました」と言われて絶句。もう少し早く帰ったらよかったと悔やんでいた。(本当は身動きできなかった時期だった)

 夜は、温泉のあるクアハウスへ夫と3人出かけて楽しんだ。奥さんの介護で毎日を過ごしている彼が、娘2人の後押しで2泊3日の休養をしたようだ。

 そしてボート部だった彼がボートを漕いでしまなみ海道の橋のまだその向こうまで行ったという「大角の鼻」、あの辺が宮崎の鼻(かじ取りの鼻)と聞いて、見て帰ったという場所へも義姉と4人で行った。

 最後は東予国民休暇村で、お茶。この時私は同行しなかった。私と言うタイムキーパーが居なかったので、帰りのバスの出発時刻3分前に着いたそうだ。聞いただけで私はドキドキした。

 5時間後に大阪へ、四条畷に着いたという連絡をもらって安心した。おもてなしは終わり。

 11人兄弟の夫たち、今は3人しかいない。その3人がそろってあちこちに行き、楽しんだと思うと私はうれしい。