東京から孫も来ず、喪中だから、お正月何がめでたいと、おせちも作らず…さぼった年末年始。

 末妹から、タコのしゃぶしゃぶ、私からは豚しゃぶを用意して次妹、次男、夫の五人で年末を過ごした。

 一日は、日の出は、曇りで見えず。去年は粘ったけれど、サッサとあきらめて帰宅。

お雑煮は二日間。母の作り方で作った。イリコと昆布のだしで、ささみを入れ、大根ニンジン、お餅、ホウレンソウ。夫と次男の三人で。少し母を思い出した。

 数の子がすきな長男は帰らないので作る意欲なし。お店で味付けの数の子を買った。おせちの詰め合わせ二日分も買った。 

 本当に何もしないお正月だった。本は三冊読み上げた。朝ぶろへ行った。初湯だ。鈍川温泉は泉質がよいので,ぽかぽかいつまでも暖かい。気分良くしていたら大地震のニュース。日が暮れていくのに被害の様子がよくわからない。震度7と聞いて、東日本大震災を思い出した。能登半島は近々でもよく地震が起きていた。寒い冬、よりによって雨が降るんだよ、地震の後は。東北は雪だった。非難の方々は寒いだろうに。「用意していた災害避難用のものは使い切った、足りない」と言っていた。心が痛い。

 二日目、庭の木々を切ろうと動き出すと夫が「三が日くらいはおとなしくしようよ」と言う。私は「夫は、普段の日でも木々の手入れはあまりしないのに」と思ったけれど、おとなしく従った。次妹の次男夫婦子供二人、長女(東京から帰っていた)が来て二時間ほど過ごした。小さな子供がいるのは楽しい。

 年賀状じまいしている私だけどくれる人が居る。その人たちに近況報告を書いたので、ポストまで行った。帰ると次男が騒いでいる。「飛行機が燃えてるって!」

 旅客機に乗っていた人は助かったけれど、地震の支援物資を運んでいた自衛隊の飛行機が燃え五人亡くなったという。これまた悲しい事故だ。新年早々日本はどうなるの?と悲しくなった。どの人も悲しい。地震で被害を受けた人も飛行機事故で亡くなった人も助かった機長さんも…つい最近羽田空港で過ごしただけに「あー、あそこから見てるのね」と想像できた。

 三日目は雨と言う予報。少しの洗濯物を干し、雨を待った。従姉に美味しいミカンを送ろうと産直市場に行くとまだ開いてなかった。四日から売りだすのかな?ドライブをして帰宅した。まだ悲しいニュースは続いている。

 ウクライナ戦争やガザ地区の悲劇、そして日本、羽田、能登。暗い話ばかりで悲しい年明けだ。

 四日からは少しは上向きの日々でありますように。